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    読書と自動車免許更新とコロナのこと

    小学5年生の時、学校の図書館で初めて漫画じゃない本に手を出し、読書の楽しさを知りました。

    大人になって、数々のパート・バイトに応募する際、履歴書の趣味の欄には必ず「読書」と記入してきました。
    面接で「好きな小説は?」と聞かれたらレイ・ブラッドベリの『火星年代記』と答えよう。ついでに一番号泣した本は三浦綾子の『塩狩峠』。一番笑った本は奥田英朗の『イン・ザ・プール』。初めて読んだ小説は江戸川乱歩の少年探偵シリーズ『地獄の道化師』。
    と答える準備はできていたのだけど、残念ながらというか幸いにもというか、一度も聞かれたことはなく、「読書」は「無趣味」と同じ扱いなのだと知りました。

    長い読書歴を持ち、数多の本を読んできた私ですが、このところ別の趣味が生活の優先順位上位になっているため、読書に費やす時間がめっきり減ってしまいました。
    今年はまだ6冊しか読んでいなくて、とても「趣味は読書」と胸を張って言えない状況です。

    パソコンに触れることができない環境で、ただ何かを待つだけの無為な時間があればなあ。集中して本を読めるのだけど。と思っていたら、この冬、それにぴったりの時間を提供してくれる、5年に1回のイベント、自動車免許更新の時期がやって来ました。
    毎回、更新手続きには、交通安全教育センター入り口の外から手続き窓口まで長い行列ができ、30分くらいかけてじりじりと歩を進めるので、結構立ち読み読書に適しているのです。 

    ところが今回の免許更新は、感染対策によって立ち読み時間は無くなりました。
    センターに行くと、まずグループ分けした整理券を配られ、5,6分、自分の車の中で待機。
    放送でグループ番号が呼び出され、椅子のある待機所に集められる。10分ほど椅子に座って待つ。
    密にならないよう、スタッフがグループごとに手続き窓口まで誘導してくれる。
    例年より時間がかからず、外で並ぶ冬の寒さもなく、椅子に座って待っていられる。とても高齢者に優しくスムーズなシステムになっていました。
    なぜ今まで、ただただ立って並んで進む、という雑なシステムを続けていたのだろう?
    免許更新手続きに関しては、新型コロナがなければ、楽な方に改善されることはなかっただろうと思うと、ちょっと複雑な気持ちでした。

    どんなシステムも完璧なものはなく、いくらでも改善の余地があるものだと思います。
    実際、コンピュータのOSなんて、常にアップデートを続けています。アップデートをしなければ、システムを続けていくことができないから。
    だけどこの社会には、何十年もアップデートされないまま続けられている、不具合だらけのシステムって、まだまだたくさんありますねえ。昭和生まれ(あるいは昭和以前から)のシステムとかルールとか。
    一度”まるごと一斉見直しキャンペーン”を張ってくれないかなあ、と思ったりします。

    とはいえ、今の社会で決定権を持っている人たちって、まだまだ昭和のままでいることを望んでいる昭和の大人が多いのですよ。国会中継を聞きながら、そんなこと思ったりしています。

    卵なしの親子丼とオリンピックのこと

    先日久しぶりに親子丼を作ったところ、卵を入れ忘れてしまいました。
    卵なしのため、「鶏肉と玉ねぎのスープ」となってしまったものをご飯にかけ、お箸で食べながら「親子丼ってこんなに食べにくいものだったかなあ」、と違和感を感じつつも完食しました。
    なんとなくもやっとした不満が残ったものの、卵の入れ忘れに気づいたのは翌日になってからでした。

    ついにアレかな、物忘れの激しいヤツが始まったのかな?と言われそうですが、いやいやたまたまです。その日は他のことで頭がいっぱいだったせいです。
    それに親子丼に卵を入れ忘れたことは、私にとってはたいした問題じゃないのです。元々料理が苦手なのだから。
    問題なのは、食べにくいと感じながらもスプーンを使わなかったことと、卵が入っていないのに親子丼だと思い込んででいたことです。
    これは何だか、新型コロナ禍の中にあってもオリンピックを開催すると言っている今の政府の状況に似ているような気がする。

    「オリンピックが開催されるとしたら、スーパー・スプレッダー・イベントになるだろう」と危惧する専門家の声もある中、政府や組織委は、「コロナに打ち勝つ、安心・安全なオリンピックを開催する」と、同じ文言をオウムのように繰り返しています。
    オリンピックの開催と中止、どちらが政府にとって得か、どちらが9月の選挙10月の総選挙に有利か、おそらくそのことで頭がいっぱいなのかも。政府にとっては国民の命や生活よりもオリンピック開催の優先順位が高そうです。
    そして、今のところ、無観客であっても開催した方が得だと思い込んでいるようです。観客の入らないオリンピックなんて、卵のない親子丼と同じなのに。

    感染対策としてアスリートと一般人が接触しないように分断され、アスリートたちは厳しい行動制限を強いられる。その割にはアスリート以外の関係者たちの行動規制は緩くて、感染対策は穴だらけ。
    参加できない国もあるし、参加を拒む国もある。こんな状況でオリンピックを開催する意義があるのかと疑問に思います。
    昨年、政府はオリンピックを「完全な形で開催する」言っていましたが、今はもうオリンピックの形をしていないスポーツ競技大会を、「コロナに打ち勝った証としてのオリンピック」と言い張る人たち。嘘をついて招致したオリンピック。その後も嘘の上塗りを続ける政府や組織委の姿勢。私はしっかり見届けたいと思います。

    とまあ、親子丼とオリンピックを無理やりこじつけてみましたが、、、、

    日本人は新型コロナによる死者数が欧米やインドに比べると少ないとは言え、最近では一日に100人前後の人たちが亡くなってます。もし目の前で100人の人たちが亡くなるのを毎日見たら、ただ事ではないと大騒ぎになるはずですが、全国に数が散らばっているので、たいした死者数ではないとうやむやにされているような感じです。

    ワクチンも行き渡っていない現状で、オリンピックが開催されれば、人の動きは全国に広がり、自粛生活も大義が見いだせず、なし崩しに崩れ、第5波と呼ばれる波は今まで以上のものになると思えて仕方がないのです。

    「スポーツを通 して文化や国籍などの違いを越え、フェアプレイの精神を培い、平和でより良い世界を目指 す」というオリンピックの理念を考えると、別に4年に1回、一つの都市で世界大会をしなくたって、1年ごとでも、競技別でも、複数の都市でも、それなりの大会を開いて、世界平和を目指してもいいのでは?と思います。

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