月別アーカイブ: 2011年2月

ソーシャル・ネットワーク

一昨日、映画「ソーシャル・ネットワーク」を観てきました。面白かったです。エンディングクレジットさえ最後まで観ました。
ハーバード大学の学生マーク・ザッカーバーグが大学生同士の交流サイトを立ち上げ、それが世界最大のSNSとなっていった、「Facebook」誕生のドラマです。

Facebook(フェイスブック)は、Facebook, Inc.の提供する、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)である。2004年にアメリカ合衆国の学生向けにサービスを開始した。当初は学生のみに限定していたが、2006年9月26日以降は一般にも開放された。日本語版は2008年に公開。13歳以上であれば無料で参加できる。
公開後、急速にユーザー数を増やし、2010年にサイトのアクセス数がgoogleを抜いたとして話題になった。2011年現在、世界中に5億人を超えるユーザーを持つ世界最大のSNSになった。そのうち日本国内のユーザー数は約180万人。(ウィキペディアより)

ノーベル賞を受賞したある科学者が言っていました。
「人の感情はたいてい、一時的なその場限りのものだ。ただ二つの感情を除いては。」その二つが『復讐』と『嫉妬』。
『復讐』と『嫉妬』という感情は、他の感情よりも長く続き、人を突き動かす大きなエネルギーになると言います。

天才と呼ばれる人には『復讐』と『嫉妬』がよく似合います。むしろ不可欠な要素じゃないかと、私は思うことがあります。
マーク・ザッカーバーグも、侮辱を受けたら必ず仕返しをし、一番の親友にさえ嫉妬をして・・・この二つの感情を原動力に、天才的なプログラミング能力を発揮して、「2010年、世界で最も若い億万長者第1位」になるまでに至ったのではないかと思えるドラマでした。

ソーシャルネットワーク予告編

映画公開以来、フェイスブックのユーザーはますます増え続けているそうですが、私が観た映画館では300席余りある部屋に観客は私を含めて4人だけ。平日夜の映画館ってこんなものなんでしょうか。プライベートシアターみたいで、贅沢な気分を味わうことはできましたが、世界に5億人以上のユーザーと4人の観客。すごいギャップですね。

映画公開以来、フェイスブックのユーザーはますます増え続けているそうですが、私が観た映画館では300席余りある部屋に観客は私を含めて4人だけ。平日夜の映画館ってこんなものなんでしょうか。プライベートシアターみたいで、贅沢な気分を味わうことはできましたが、世界に5億人以上のユーザーと4人の観客。すごいギャップですね。

それはさておき、フェイスブックのように、自分の顔写真や個人情報を公開するようなサイトが受け入れられる現象は、私には不思議に思えます。ネットにそんな個人情報を流して大丈夫なの?と思ったりするんですが、昨日の「日本経済新聞>BPニュースセレクト」にそんな疑問に答えるような記事が載っていました。

「Facebookの何がそんなにすごいのか」(日本経済新聞)

この記事では顔を出し実名で登録するからこそ安心だ、とあります。
確かに顔にモザイクのかかった人同士の集まりでは、お互いを信用するのは難しいでしょう。
信用を得るにはまず正直な自己紹介をするのは当然と言えるかも知れません。
それに、個人情報保護時代だから、逆に他人のプライバシーを知りたいって欲求も高まっているのかも知れません。

「Facebookの何がそんなにすごいのか」を続けて読んでみると
「Facebookのユーザーは18歳~34歳が全体の70%を占めている。メインユーザーは若いビジネスマン」と分析しています。
あまりシニアには受けてないようですね。そこがねらい目とばかりに、最近は日本でも定年退職後のシニアや、介護世代の人などをターゲットとしたSNSも登場し、ビジネスとして成功しているサイトもあるそうです。
「無縁社会」と言われる現実があるからこそ、どこかで誰かと繋がっていたい。それは老いも若きも同じなのだと思います。

「もしもし、運命の人ですか。」穂村 弘

mosimosi出版社: メディアファクトリー (2010/12/21)

(内容紹介Amazon.co.jp)
黙々と働く昼も、ひとりで菓子パンをかじる夜も、考えるのは恋のこと。あのときああ言っていたら……今度はこうしよう……延々とシミュレートし続けた果てに、〈私の天使〉は現れるのか? 人気歌人による恋愛エッセイ集が、待望の文庫化。解説は、『臨死!!江古田ちゃん』の漫画家・瀧波ユカリ。

穂村弘さんといえば、『世界音痴』『現実入門~ ほんとにみんなこんなことを?』『本当はちがうんだ日記 』『にょっ記』といった、いかにも大人気ないタイトルからも分かるように、永遠の青二才、いえ、永遠の“まだ中”(まだ中学生)。
妄想の中で妖精だか天使だかを連れて歩き、夕餉にコンビニの菓子パンをかじる、結婚しない、できない男の代表だったはず。
なのに、この『もしもし、運命の人ですか。』というエッセイの中には

「外国にいる間中、妻の背後にぴったり貼りついて隠れている私とはえらい違いだ。」

と、さりげなく妻という一文字が挿入されています。
はあ?妻?妻の背後?ええっ?
思わず本をめくる手が宙に浮いてしまいました。
そういえば以前『にょっ記』を読んだときにも「妻」と会話しているみたいなシーンが出てきて、「印刷ミス?」と疑問に思ったけど、「ああ、妄想の妻ね、きっと」と勝手に解釈してスルーしてしまったんですが・・・。
裏付けをとるしかない、とネットで検索してみると、「WEB本の雑誌」、 「作家の読書道」に本人が肯定している言葉がありました。

まあ、作家が結婚しようがタレントが離婚しようが、私には影響のない話なんですけど。
しかし、もう「運命の人」見つけたのなら、いまさら〈私の天使〉探しも説得力に欠けますね。先の「妻」に関する一文も何だかのろけみたいに聞こえるじゃないですか。いや、きっとそうです。
結婚という生々しい現実を手に入れてしまった穂村弘さん、どうか私生活をあまり晒すことなく、さらなる妄想力を磨いていって欲しいものです。