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  • 「罪の轍/奥田英朗」20世紀と21世紀の東京オリンピックを比べてみる

    罪の轍

    著者:奥田英朗
    発行:2019年/新潮社


    奥田英朗のシリアスな犯罪小説。587ページの分厚い本です。

    時は昭和38年、西暦で言うと1963年。アジア初となる東京オリンピックを翌年に控えている日本。
    20世紀の東京オリンピック前年は、新幹線や高速道路や競技場などの建設ラッシュで、オリンピック景気に沸いている高度成長期真っただ中でした。
    まだ60年安保闘争の熱も残る、そんな時代背景を緻密に描いているのが本書「罪の轍」です。

    そして「罪の轍」が発行された2019年夏は、21世紀の東京オリンピックを翌年に控えた年でした。
    20世紀と21世紀の、オリンピック前年の空気を比べてみると、今世紀のオリンピックは前世紀ほどの盛り上がりはないようです。

    振り返れば、オリンピック開催都市を決める際の最終プレゼンテーションで、安倍首相が「福島はアンダーコントロールされている」と、ギョッとするような嘘をつき勝ち取った東京オリンピックです。

    嘘で始まり、開催が決まったあとも、なにかとごたごた続き。
    新国立競技場の建設費が膨らみに膨らみ、一度決まっていたデザイン案が白紙撤回される。
    公募で選ばれたエンブレムデザインは盗作疑惑が浮上し、こちらも白紙撤回の上再公募。
    オリンピック招致をめぐる贈賄疑惑。
    開催の前年になって、マラソンと競歩の競技会場を札幌に変更。
    「東京・札幌オリンピック」と呼んでもいい状況になったけど、誰もそうは呼ばない。
    東京都知事と政府のバトル。
    ごたごたによって暴露される利権の絡みは数知れず。

    2020年。「復興五輪」という偽りの冠を被せたオリンピックイヤーが始まりましたが、まさかのパンデミック襲来。
    東京オリンピックは1年延期されて、なんと今年2021年もオリンピックイヤーとなりました。
    さあ!オリンピックだ!頑張っていこう!という祝賀ムードなどいっさいない。
    あるわけない。
    「お・も・て・な・し」など、できない状況なんだから。
    それどころじゃないんだから。

    しかし2021年1月24日現在、オリンピックは中止が決定しているわけではなく、どんな形で開催されるかも決まっていない。アスリートの方たちにとっては生殺し状態が続いています。
    最初は、「東日本大震災の被災地を元気づける復興五輪」と位置付けていたものが、いつの間にか「コロナに打ち勝つ証としてのオリンピック開催を目指す」とコンセプトさえも書き換えられていますが、今日現在コロナに打ち勝っていないので、夏には間に合わないのではないでしょうか。

    さて、話を本書「罪の轍」に戻しますと、この長い物語は3人の登場人物の視点で語られます。

    ・空き巣狙いの常習犯、宇野寛治(20歳)。
    ・警視庁刑事部捜査一課5係の刑事、落合昌夫:通称オチ(29歳)
    ・山谷で旅館を営む、朝鮮から帰化した一家の娘、町井ミキ子(22歳)

    宇野寛治は、北海道のニシン漁が廃れ、かつての繁栄の面影もない礼文島から、空き巣を繰り返しながら命からがら東京へと逃げてきた若者。
    落合昌夫は、警視庁捜査一課5係の正義感に燃える若手刑事。
    この5係には癖のある刑事が7人います。
    昭和の人気ドラマ「7人の刑事」を彷彿とさせる、刑事たちの執念の捜査。
    それから、町井ミキ子を通して山谷という、オリンピックインフラの建設を支えた労働者たちの姿を書き、これぞ”昭和”というリアリティある犯罪小説となっています。

    シリアスな犯罪小説とは言え、何といっても著者は奥田英朗です。そこかしこに小さな笑いを差し挟んできます。
    奥田英朗は、笑いのない物語は書けない作家なのです。

    「我らが少女A / 高村薫」と現代アートのこと

    「我らが少女A」高村薫 発売日 : 2019/7/20 出版社 : 毎日新聞出版

    「我らが少女A」高村薫
    発売日 : 2019/7/20 
    出版社 : 毎日新聞出版

    高村薫のデビュー作は、1990年第3回日本推理サスペンス大賞を受賞した『黄金を抱いて翔べ』。銀行の地下深くに眠る金塊強奪を企てる男たちの物語です。
    その作品を読んだとき、緻密な犯罪計画に圧倒され、そして物語のディティールの肌理細やかな描写に圧倒されました。
    微に入り細に入り時間を掛けた入念な犯罪計画があり、登場人物の心情にも多くのページを割いているので、読み進めてもなかなか銀行襲撃の瞬間は訪れず、いったいいつになったら計画は決行されるんだ!?と焦れながら読んだ覚えがあります。
    結末はもう覚えていません。銀行襲撃は成功したんだっけ?いや、そんなことはどっちでもいい。本を読んでいる間、一緒に銀行襲撃を目論んでいる時間がスリリングでした。

    その1冊で高村薫という作家に嵌り、『マークスの山』や『レディ・ジョーカー』などの合田雄一郎刑事シリーズを読み、合田雄一郎刑事のキャラクターにも大いに魅了されました。

    本書『我らが少女A』は合田雄一郎刑事シリーズ、『冷血』以来7年ぶりの新作です。
    なんと合田雄一郎は57歳という年齢になっていました。
    私が好きな『レディ・ジョーカー』のころは30代半ばだったはず。いつの間にこんなに年を取ったの?と小さくショックを受けましたが、合田雄一郎はきっちり現実の時間の流れに生きている刑事なのです。『レディ・ジョーカー』の後に出た『太陽を曳く馬』を読んでいないせいで、私は40代の彼の活躍を知らないのでした。

    2017年で57歳ということは、今年は還暦でしょうか?
    もし、国家公務員の定年延長法案法が可決されたとしても、彼には定年延長はないようですね。

    さて、本書『我らが少女A』のストーリーはというとーーー
    2005年クリスマスの早朝、元中学校美術教師が殺害された。
    事件は未解決のまま12年が経った2017年の早春、風俗店アルバイト女性が、同棲している男から殺された。
    その女性こそ、12年前の未解決事件の周辺にいた、当時中学生の上田朱美だった。
    そして彼女が12年前の事件に関与していたのではないかという疑いが浮上し、未解決事件が再捜査されることになる。
    上田朱美と接点のあった者たちの記憶を通して、2005年当時の東京が再現されていく。
    ポップなヒット曲をBGMに、電飾に彩られたゲーセン、援助交際、ストーカーなど、思春期の少年少女たちの危うい日常と、街の風景が描きだされる。
    27,8歳となった登場人物たちの現在と、15,6歳の彼らの姿が交錯する。
    亡くなった上田朱美だけが何一つ語ることなく、「#少女A」として、ネット上で拡散していく。

    我らが少女Aは、
    「ひとつの事件が起こす、周囲の関係者へのさざ波、様々な反応の連鎖を書きたかった」
    と、作者自身が「P+D MAGAZINE」のインタビューで語っているように、事件によってあぶりだされる被害者家族やその周辺の者たちの心情、家庭の問題が丁寧に書かれていて、そこに読み応えがあります。

    ここからは余談ですが、本書の中盤あたりに現代美術家:会田誠のフアンだという男(電通マン)が登場します。
    私は「会田誠」の作品のあれやこれやを思い出し、しばらくの間、本書のストーリーから外れて「現代アート」について考えていました。

    性差別的な美術作品について思うこと

    「会田誠」の名をネット検索に掛けると、四肢を切断された美少女が鎖を付けられて微笑む「犬」シリーズ、大量の裸の少女たちをミキサーに詰め込んでジュースにする「ジューサーミキサー」、少女が食べ物として描かれる「食用人造少女・美味ちゃん」シリーズ、少女が盆栽となって剪定される立体作品、キングギドラに美少女がレイプされる「巨大フジ隊員vsキングギドラ」、人間サイズのゴキブリとAV女優との性行為写真作品、などのエログロ画像が現れます。
    こういう作品が現代アートとしてネットに流布し、公共の美術館でも展示されたりしています。

    どんなに過激な作品であろうと実在しない少女を描いて個人的な妄想を表現したものであり、特定の誰かを中傷しているわけではないから、日本では「表現の自由」の範疇にある作品だと思う。
    「表現の自由」は侵害されてはならない。規制されてもいけない。それは一国民として私も強く思っています。

    でも、先に挙げたような作品は、女性の尊厳を踏みにじる、加虐的で侮蔑的な性暴力描写に見えて、私は不快に感じます。
    それらは高い画力があり、一見、美しい日本画のような表層をしている作品もあって、芸術だと言われる。でも描かれている内容は児童虐待ポルノであり、サディスティックな性差別表現であり、日本に古くからある女性蔑視の文化を継承している時代錯誤な価値観の作品だと思います。

    少女が凌辱されている性犯罪場面の描写を、女性蔑視的な、時代錯誤な価値観の作品を・・・常識にとらわれない独自の視点だ、タブーへの挑戦だ、現代アートだ、天才だ、と称賛する人たちの感覚が、私はどうにも理解できなくてモヤモヤします。

    疑問に思うところを列挙してみると、

    • 女性の尊厳を踏みにじる作品を敢えて世に出すことが、タブーへの挑戦だということなのだろうか?
      女性の尊厳を踏みにじることは、人間の尊厳を踏みにじることと同じだとは考えないのだろうか?
    • 「犬」などの作品に対して、侮蔑的な性暴力と感じることの方が、過剰反応なのだろうか?
    • 会田誠の作品は全てがエログロだけではないのだから、他の社会批判性のある(ように見える)作品などと合わせて、”総合的俯瞰的観点から”会田誠の作品であればエログロ作品もひとまとめに肯定されているのだろうか?
    • 「食用人造少女・美味ちゃん」シリーズなど一連の作品は、男性の変態的妄想で描いた児童虐待ポルノ画に見えるのだけど、実は何かしらのテーマがあって、それを表現するために児童虐待的な描写が必要だったのか?
      その隠れたテーマを私が読み取れなかっただけなのだろうか?
    • 作品から女性蔑視などの差別表現を無くしたら、「表現の自由」は委縮してしまうものなのだろうか?
    • 政治的批判を含んだアート作品は「表現の自由」を侵害されやすいのに、政治性を含まない女性蔑視表現はなぜこうも肯定され野放しになるのだろうか?
    • 「現代アート」という分野は、女性蔑視以外の差別表現も容認しているのか?

    まだまだ疑問がありますが、モヤモヤが膨らむばかりなので、今夜はこの辺でやめておきます。
    「現代アート」は、作家側と、観るだけの一般人である側の私とでは、人権意識に相入れないところがあるのだなと思うしかない?

    『夢の断片(かけら)』モーラ・ジョス・・結末を知りたくない物語

    2004年/ハヤカワ・ミステリ
    英国推理作家協会賞・シルヴァー・タガー賞受賞

    7月に入ってから、職場の休憩時間を使ってちまちま読み進めてきたこの本(367ページ2段組み)も、残すところ58ページとなりました。
    いよいよ、ここから結末に向かって物語は、新たな局面を見せるに違いない、と思うところですが、今回は結末を読む前に本書を紹介してみたい。

    物語の主役は、留守番派遣会社に勤める64歳の女性、ジーン。
    長期不在の家に住み込みで留守番をすることがジーンの仕事だった。
    18年間、57軒の家に住み込んできたジーンだが、高齢を理由に解雇を言い渡されていた。
    58番目のこの家、ここが彼女の最後の仕事場となる。
    ここで8か月間留守番係を勤め終えると、そのあと彼女にはもう行く所はない。ジーンには身寄りがなく帰る家もないのだった。

    そんなジーンにとって、この最後の仕事場であるウォルデン・マナーの古くて美しいマナーハウスは、これまでで一番気に入った理想の屋敷だった。趣味の良い年代物の調度品にあふれ、時が止まったような静かな美しさがあった。
    ジーンはいつしか自分がこの家の所有者であることを夢想するようになる。

    偶然、屋敷中の鍵を手に入れてしまったことから、ジーンの夢想は現実的な欲望となった。
    ジーンは開けてはいけない扉を次々と開けていく。
    使ってはいけない客間の暖炉に火を入れる。
    鍵のかかった部屋のバスタブに、たっぷりお湯を張る。
    衣装戸棚に仕舞われている上等な衣服や靴を身に着ける。
    ジーンの欲望は膨れ上がり、今までの人生で得られなかった幸福を、この家で手に入れたいと思うようになっていった。幸せになりたい。愛する家族が欲しい。息子とか、孫とか。
    運命の糸に手繰り寄せられて、その日暮らしの男マイクルと、男に捨てられた若い身重の女ステフがジーンの元に現われた。三人は家族として暮らし始める。
    やがて、ジーンと偽家族の欲望は暴走を始める・・・・・

    読み進むほどにじわじわと、恐怖が増してくる物語です。
    ジーンとマイクル、ステフの偽家族が、毎日一緒に食事をしたり、ワインを楽しんだり、庭の手入れをしたり、三人で赤ちゃんの面倒を見たり、とても穏やかで幸せな日常生活を営むほどに、読んでいるこちらの方が不安な気持ちに胸が苦しくなってきます。
    間違いなく破綻の時がやってくるっていうのに、気づかないふりをして日常生活を続けている彼らの姿は、何だか身つまされて、他人事と言い捨てることができないのです。

    この物語は、果たしてこのあとどんな展開を見せるのか?
    決してハッピーエンドに終わるはずがありません。読み終わったとき、きっと、救いようのない後味の悪い思いをすると思う。
    いやいや、もしかしたら読者の浅い読みを裏切って意外などんでん返しが用意されてるかもしれない。
    だけどもし、すべてが狂人の戯言であったと言うような結末だとしたら?
    それはそれで茶番をみせられたようで、がっかりするかも。

    まあ、とにかく、結末を先延ばしにするのはほどほどにして、明日の昼休みに続きを読んでみることにします。
    どんな結末であれ、本書が優れた作品であることは間違いないのです。

    「ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女」ダヴィド・ラーゲルクランツ“国民を監視する者は、国民によって監視される”


    2015年発行/早川書房

     

     

     

    職場に新しく入ったアルバイトの女性が、前職場を辞めた理由を話してくれました。
    そこは従業員用のロッカーがなく、従業員はバッグなどを籠に入れて休憩室に置いておくだけ。
    あるとき現金の盗難が相次いだため、防犯対策として休憩室に監視カメラが設置され、映像も音声も本社へ送られるようになったという。それがすごく嫌だった、と。

    それまで、会社側は従業員には物を盗む人などいないと、信用していたのだろう(たぶん)。だから、ロッカーなんか無くても構わないと考えていたのだろう(たぶん)。
    ところが現実に盗難が起こると一気に、休憩中の従業員を監視するという極端な選択をする。
    その選択の前に、従業員のために貴重品ボックスを設置するとか、職場環境の改善を考えてもよかったのではないかと私は思う。

    しかしまあ、実際にはロッカーを置かないのは経費節約のためであり、ロッカーや貴重品ボックスを人数分設置するよりも、監視カメラを1台追加設置する方が安上がりだろうし、休憩室にいる従業員を監視することに何らかのメリットが会社側にあるということなのだろう。
    常に監視していれば、人はよく働くと考えているのかもしれない。
    休憩時間に共謀して何かよからぬ企みをすることを、阻止できると考えているのかも知れない。
    あるいは、従業員には職場において寛ぎも息抜きもプライバシーも必要ない、と考えているのかもしれない。

    更衣室やトイレなどでなければ、休憩室に監視カメラを設置すること自体、違法ではないらしい。でも、労使間の信頼関係を損なうことは間違いないと思う。
    休憩時間が息抜きにならない職場は、ストレスが溜まる。

    しかし、この話題で一番気になるポイントはというと、世の中には他人の財布の中身を盗む人もいるが、監視カメラのデータを盗む人もいるっていうことです。そして、そっちの方が、はるかに被害が大きい。例えばこんなニュースがあります。

    防犯カメラ映像、ネット「だだ漏れ」のリスク

    先月もランサムウェア(身代金要求型ウイルス)によるサイバー犯罪が多発して、世界中に多大な被害をもたらしました。インターネットには高度なスキルと悪意を持ったハッカー(これをクラッカーと呼ぶ)がいます。防犯カメラのデータを盗むくらい容易いに違いないのです。

    というわけで、ここからが本題。
    天才ハッカーリスベットが活躍する『ミレニアム 4 蜘蛛の巣を払う女』の話です。
    『ミレニアム』の前作を読んだ方はご存知のことですが、今回の『ミレニアム 4』の著者はスティーグ・ラーソンではありません。
    スティーグ・ラーソンは生涯のパートナー、エヴァ・ガブリエルソンと共に『ミレニアム』を1,2,3部と4部の途中まで執筆していましたが、第1部が発売される前に心筋梗塞で急死してしまいました。
    彼の死後発売された『ミレニアム』シリーズは大ベストセラーとなり、ファンの間ではエヴァ・ガブリエルソンによる続編が出るのでは、と期待する声もあったようですが、意外なことに『ミレニアム 4』はスティーグ・ラーソンとは全く無関係のダヴィド・ラーゲルクランツという作家が執筆することになりました。
    登場人物は同じだけど書き手が違うという作品です。
    私の感想としては、テレビ版の「ドラえもん」と劇場版の「ドラえもん」では登場人物にちょっとした変化がみられる、その程度の違いはあるような気がしました。
    シリーズのテーマとなっている<女性に対する蔑視および暴力>を憎む姿勢は相変わらずですが、リスベットよ、少し手加減していないか?と物足りなさを感じた部分もありました。ま、私がリスベットに過激さを求め過ぎているかもしれませんが。

    余談ですが、『ミレニアム』が<女性に対する蔑視および暴力>をテーマとすることと、リスベットの名前の由来には、深い理由があります。興味のある方はウィキペディア「ミレニアム (小説)」を読んでみてください。

    さて、今回の『ミレニアム』は、“ドラゴン・タトゥーの女”ことリスベットが、ネットワークの中をかけめぐり、謎の犯罪組織と対決するサイバー・サスペンスストーリーとなっています。
    手始めにリスベットは、監視国家アメリカの象徴と言えるNSA(国家安全保障局)のイントラネットに侵入し、自作の遠隔操作プログラムを使ってデータを根こそぎ盗んだりします。
    NSAから見ればリスベットはハッカーではなく、クラッカーだと言いたいところでしょうが、テロ対策を大義名分に掲げ、その実、権力を濫用して企業スパイ活動にいそしみ、国内外のテロとは無関係な人々の日常を監視してきたNSAこそクラッカーと言えるでしょう。(「暴露」スノーデンが私に託したファイル/グレン・グリーンウォルド参照)
    リスベットはNSAのセキュリティー管理最高責任者エドのPCに痛快な警告を書き残していきます。

    「違法行為ばかりするのはやめろ。簡単なことだ。国民を監視する者は、やがて国民によって監視されるようになる。民主主義の基本原理がここにある。」

    と。
    今月15日我が国で、「組織的犯罪処罰法改正案」(通称「共謀罪法」)が強行採決によって成立しました。とても他所の国の話だと面白がってはいられない警告ですね。

    11歳の少年がテディベアをハッキングして「オモチャが武器になる危険性」を語る

    といった記事を読むと、この子のような天才たちが正当なハッカーとなって、どうか世の中を正しい方向に導いてくれ、と願わずにはいられません。

    「絶叫」/葉真中 顕“たまたま、同じ家に降ってきた人を家族と呼ぶ”

    光文社/2014年発行

    この歳になると、何歳で死ぬことになるのかよりも、私はどこでどんな死に方をするのか、そのことの方が気になります。
    室内か、野外か、病院か。自然死なのか、病死なのか、事故死なのか、災害によってか。

    厚生労働省の「平成27年人口動態統計月報年計(概数)の概況」、第7表 死因順位(1~5位)別死亡数・死亡率(人口10万対),性・年齢(5歳階級)別 によると、私の年齢層では、女性の死因1位から3位までが病死です。4位が自殺、5位が不 慮 の 事 故。
    95歳以上になって初めて老衰が1位となる。
    人間が自然のままに死ぬことは、かなり難易度が高いことのようです。

    私のこれまでの人生から考えると、平凡に生きて平凡に終わる。大多数の人と同じように病死というのが一番ありそうな終わり方だなと思えます。そして現在一人暮らしなので、部屋の中で孤独死する可能性が高い。

    孤独死予備軍の私としては、本書『絶叫』のプロローグに登場する孤独死体には、少なからず衝撃を受けました。
    気密性の高いマンションで一人暮らし。人付き合いもなく、公共料金は自動引き落としだから誰にも不審がられることなく。4カ月経ってようやく発見されたそれは、11匹の猫の骸骨と大量の蠅や蛆の死骸に囲まれ、猫や虫のエサとなり、もはや人間の形をなしていない状態だった。
    グロテスクとしか言いようのない光景ですが、そう珍しい事ではないそうです。
    飼い主に先立たれたペットは、密閉された部屋の中で必死に生きようとするわけで、ペットのためにも我が身のためにも、ペットより先に死んではならない。そう思いました。

    とまあ、『絶叫』は、いきなりインパクトのある死体から始まる濃厚な犯罪小説です。
    ただ、本書で扱われる犯罪そのものは、そう特異な事件ではなく、似たような題材で他のミステリ作家も優れた作品を書いています。
    しかし、同じリンゴを描いても、セザンヌとマグリットでは、まったく印象が異なる作品になるように、この『絶叫』も既存の作品とは随分違った世界が見えてきます。

    物語は、鈴木陽子という女性の転落していく人生が、その孤独な過去と現在が、二人の人物によって交互に語られていくというスタイルで進みます。
    鈴木陽子は1973年生まれ。 サラリーマンの父と専業主婦の母と弟との4人家族。当時で言えば、割と普通の家庭に育ち、平凡でぱっとしない容姿、特別な才能もない、どこにでもいるような地方都市の少女だった。
    何故彼女の家庭は崩壊したのか。何故彼女は東京で一人、頼る者もなく生きていかねばならなかったのか?

    根底にあるテーマは、時代とともに変遷する日本の家族の姿です。
    いつの時代に、どこの場所で、どの家族の元に生まれるか、それによって、人生の粗方は決まってしまう。それを私たちはよく、『運命』とか『宿命』とか言うけれど、この物語のなかでは、それを「降ってくるもの」と表現します。
    「この世に選んで降る雨がないように、選んで生まれてくる人もいない。たまたま、同じ家に降ってきた人を家族と呼ぶ」と言う。
    そして、
    「姉さん、人間って存在はね、突き詰めれば、ただの自然現象なんだ。どんなふうに生まれるか、どんなふうに生きるか、どんなふうに死ぬか。全部、雨や雪と同じで、意味も理由もなく降ってくるんだ。」と。

    500ページ超えの大作ですが、その語り口に惹きこまれて一気読みしてしまいました。
    また、随所に伏線が張られていて、それが次々と現在にリンクしていき、最後には過去と現在がループのように繋がっていく感じが、ちょっとした快感を与えてくれる読了感でした。

    作者の葉真中 顕(あき)について言えば、最初児童文学でデビューしており、ミステリー作家としての活動はごく最近になってからのようです。
    2013年に1作目「ロスト・ケア」で日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、本書「絶叫」が2作目の作品になります。

    「解錠師/スティーヴ・ハミルトン」きっと泣く予感がする1冊

    kaijousi


    ハヤカワ文庫/2012年

    八歳の時にある出来事から言葉を失ってしまったマイク。だが彼には才能があった。絵を描くこと、そしてどんな錠も開くことが出来る才能だ。孤独な彼は錠前を友に成長する。やがて高校生となったある日、ひょんなことからプロの金庫破りの弟子となり、芸術的腕前を持つ解錠師に…非情な犯罪の世界に生きる少年の光と影を描き、MWA賞最優秀長篇賞、CWA賞スティール・ダガー賞など世界のミステリ賞を獲得した話題作。
    このミステリーがすごい!2013年版海外編。2012年週刊文春ミステリーベスト10海外部門第1位。

    内容(「BOOK」データベースより)


    表紙のイラストが児童書みたいなトーンなので、なんとなく読むのをためらっていたのですが。
    アメリカ探偵作家クラブ賞、英国推理作家協会賞のダブル受賞。しかも「このミステリーがすごい!2013年版海外編 第1位」。アメリカでも英国でも日本でもファンを獲得しているミステリーとなるとやはり捨て置けない。

    「たぶん、きみはぼくを覚えているだろう。思い出してもらいたい。1990年の夏のことだ。」
    という書き出しで、主人公マイクの獄中記が始まります。

    主に17歳の夏から20代後半の現在まで。
    犯罪に手を染めていない頃のマイクと、犯罪者として転落した日々を送るマイクの、二つの人生を行ったり来たりする形で、物語は進んでいきます。少し勿体をつけ過ぎかなという構成ではあるけど、時系列通りに書いては、やはり面白くない。
    この時間を行ったり来たりするごとに、物語の結末が気になっていくのです。

    そして、これはたぶん翻訳者(:越前敏弥さん)の手腕によるところが大きいのではないかと思いますが、少し感傷的な、でも感傷に過ぎることのないバランスで書かれている文体が、幼くして人生を諦観してしまったマイクの、孤独な世界を表しているように感じられました。
    マイクは淡々と書いているのに、そこが切ない。読んでいる私の方がだんだん感傷的になってしまい、早い段階で、きっと私は泣く、と予感しました。
    実際に、516ページの7行目で泣きました。それから残り47ページを一気に涙目で読みました。
    ラストを確かめずには眠れない。
    確かに血なまぐさい場面もあって、「非情な犯罪の世界に生きる少年」の物語なのだけど。ピッキングやダイヤル錠の解錠場面は凄く臨場感があって、とてもスリリングなのだけど。何よりも、マイクのピュアな恋の行方が気になります。
    口をきけないマイクが彼女と心を通わせる、その冴えた手段が胸を打ちます。

    やっぱり、この本は児童書とまでは言わないけれど、青春小説だなあと思う。

    「自分がどんな体験をしたかを知る人が世界じゅうにただひとりでもいて、それが自分を真に理解してくれる人であるなら、ほかには何も要らなかった。」

    というマイクの心のうちは口に出して言うことはできない。でもそれを全力で身を以て実現していく物語なのでした。

    アメリカ探偵作家クラブ賞受賞、英国推理作家協会賞受賞だからといって、バリバリのミステリとは限らないようです。
    付け加えると、2011年、アメリカ図書館協会主催の『アレックス賞』というのも受賞しています。「12歳から18歳のヤングアダルトに特に薦めたい大人向けの本10冊」に贈られる賞だそうです。

    「摩天楼の身代金/リチャード・ジェサップ」を再読してみて思ったこと

    matenrou

    文春文庫(1983/04)


    「世界で最も安全」な超高級マンションがニューヨークにオープンした。青年トニオは、周到な準備と大胆な発想でこのビルを“人質”にし、警備側の誰一人として予想もしていなかった要求をつきつける。さらに、脅迫した400万ドルの受け取り方法についても、まったく新しいアイデァを編み出した。
    異色でハードな最高の襲撃小説!
    (裏表紙から)


    30年ほど前に一度読んで、非常に面白かったミステリです。
    ある事情から大金が必要になったトニオは、100階建てのセントシア・タワーに爆弾を仕掛け、ビルオーナーに身代金を要求します。
    どうやってトニオはセキュリティ強固なビルに爆弾をしかけることができたのか。
    どうやってトニオは身代金を受け取るつもりなのか。
    斬新なアイデァと、最初から最後までよく練られたプロットの面白さは秀逸です。
    完全犯罪を目論むトニオのストイックな日常がスリリングに描かれ、ついつい犯人に肩入れしてしまう困った作品でもあります。
    セントシア・タワーと登場人物以外はほとんど、実在のものが配置されているそうです。大都会の活気や裏通りの情景は映画を観ているような臨場感にあふれています。
    トニオに対するセントシア・タワーの副社長兼総支配人マードックもまた、知的でクールな魅力ある人物で、粘り強く犯人に迫っていきます。果たしてどちらが勝つのか、二人の頭脳戦も読みどころ。
    私にとっては、好きなミステリベスト5に入る作品です。

    最近急に読み直してみたくなり、アマゾンにて古本を購入しました。現在、絶版のため新品は手に入らない状況です。
    30年ぶりに再読してみて、さすがにレトロな雰囲気は感じられるものの、作品の魅力は色褪せていませんでした。
    でも、ただ、登場人物たちの口調がちょっと気になりました。
    30年前だときっと違和感なく読んだのだろうとは思いますが、今読むと何かちょっと変。

    時代設定はベトナム戦争終結後だから、1975年以降。ヒッピー全盛の時代だと思うのですが、若い女性のセリフが、「とび込んだりしやしないわ」「あたし、なんか盗むかもしれなくてよ」「大丈夫だわ」「困りゃしないわ」と、だいたいこんな感じ。欧米ドラマの日本語吹き替え版みたいな不自然さ。
    バーテンダーのセリフが「それだけのことでさあ、お兄さん(おあにいさん)」とか、20歳の娼婦のセリフが「なんだって?何を取ろうっていうのさ。おふざけじゃないよ。この間抜け。とっとと失せな」といった調子。
    トニオのバイト先もウェイターもタクシー運転手も、街の人間たちはたいがい、任侠映画かギャング映画の吹き替え版。トニオだってコロンビア大学の学生ということになっているのだけど、言葉使いがどうにも若さに欠ける。
    極めつけは、
    「いやぁ、あんたはお利口さんだぜ!爆弾かって?そうさ、その爆弾でござんすよ!」
    てなセリフには、思わず私はずっこけました。(この言い方も古いが)
    これじゃあ、ニューヨークじゃない。

    原文を読めないくせに勝手なことを言っていますが、できたら新訳の『摩天楼の身代金』を読んでみたい。
    とてもいい作品なのですから、絶版はもったいない。

    ミレニアムⅠ ドラゴン・タトゥーの女/スティーグ・ラーソン

    millennium01ミレニアムⅠ ドラゴン・タトゥーの女(上・下)
    スティーグ・ラーソン
    ハヤカワ文庫 2011年発行


    内容(「BOOK」データベースより)
    月刊誌『ミレニアム』の発行責任者ミカエルは、大物実業家の違法行為を暴く記事を発表した。だが名誉毀損で有罪になり、彼は『ミレニアム』から離れた。そんな折り、大企業グループの前会長ヘンリックから依頼を受ける。およそ40年前、彼の一族が住む孤島で兄の孫娘ハリエットが失踪した事件を調査してほしいというのだ。解決すれば、大物実業家を破滅させる証拠を渡すという。ミカエルは受諾し、困難な調査を開始する。


    スウェーデンから世界的ヒットになり、日本で北欧ミステリブームの火付け役となったと言われる作品が、この『ミレニアム』3部作です。

    以前、 「ああるの映画と読書」に紹介されていて興味を持ち読み始めました。
    3部とも上下巻あり、1冊あたりが500ページ前後もある分厚さです。
    超大作だけに登場人物がやたら多く、馴染みのない北欧的姓名や地名が読み難い、覚えにくい。
    そんな困難にもめげず、のっけから完全に嵌って読み通しました。

    といっても、ミステリー自体はさほど目新しいものではないのです。
    第1部『ドラゴン・タトゥーの女』について言えば、ジャーナリストであるミカエル・ブルムクヴィスト(43歳)が、大実業家一族が住む閉ざされた孤島を舞台に、40年前の少女失踪事件の謎を解くというストーリー。
    密室あり、見立て殺人あり、暗号解読あり、暗く陰惨な一族の歴史が暴かれ・・・とくると、『犬神家の一族』や『獄門島』などでお馴染みの横溝正史が描く、あのおどろおどろしたクラシックな探偵小説みたいと感じる人も多いはず。
    それはそれで読み応えがありますが、『ミレニアム』の面白さは何といっても、“ドラゴン・タトゥーの女”こと、リスベット・サランデル(24歳)の強烈な個性によるところが大きいと思います。
    リスベットは、感情表現が著しく欠如し、他人を苛立たせることはあっても、他人を受け入れることはしない。小柄でやせこけて、見た目は15歳にしか見えない女、という設定です。
    このリスベットがたった一人で、“彼女なりのモラルとやり方”で、自らの運命に屈することなく巨悪に立ち向かっていく姿が、孤独で健気で痛快で格好いい。この“彼女なりのモラルとやり方”に惹かれました。

    リスベット以外にも、それぞれの分野で女性蔑視や差別と戦い苦悩する女性たちが何人も登場し、『ミレニアム 3部作』には、“戦う女の物語”という側面もあります。
    そしてまた、ミカエルの言動や月刊誌『ミレニアム』の在り方には、作者スティーグ・ラーソンの“ジャーナリスト魂”が色濃く投影されていて、そこのところも本書の読みどころです。

    ところで、『ドラゴン・タトゥーの女』は、2011年にハリウッド映画化されていますが、確かR15+指定の映画だったと思います。
    1部、2部と読み進めると、なるほどR指定にせざるを得ないなあと思わせる過激な描写が随所にありました。このへんはハリウッド狙いなのでしょうか。少しくど過ぎる気がしました。
    読んでいるページを他人に覗かれるのは憚れる場面も多い。落ち着いて読みたい方は、職場とか通勤電車とかは避けた方がいいでしょう。余計なお世話かも知れませんが。

    第1部『ドラゴン・タトゥーの女』と第3部『眠れる女と狂卓の騎士』は北欧5ヵ国におけるミステリ最優秀作「ガラスの鍵」賞を受賞。
    第2部『火と戯れる女』はスウェーデン推理作家アカデミー最優秀賞を受賞。
    2部、3部は、1部の続編ではあるけれど、それぞれ趣きが大きく異なるストーリーで、その点でも読者を飽きさせないエンターテインメント作品となっています。

    millennium02

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    5冊まとめて、ちょっとだけ読書感想。

    本を読み終えて、すぐにブログに感想を書けばよいのだけど、それができずに本だけが溜まっています。あれも書きたい、これも書きたい、でも時間が経ち過ぎて記憶がどんどん薄れていく。で、今回は忘れ去らないうちに5冊まとめて、書き出してみようと思います。

    2014-09-07-17.11『ベイジン(上下)』
    真山 仁/幻冬舎文庫
    2010年4月発行

    「お願いだ、俺にこの発電所を停めさせてくれ」

    『ベイジン』とは北京のことで、英語ではBeijingと表記するとのこと。
    舞台は、北京オリンピックを目前に控えた中国。
    冒頭のセリフは、北京オリンピック開会式に合わせて運用を開始させるという原子力発電所を建設するために、中国へ招へいされた日本人技術者、田嶋の必死の叫び声です。
    電源喪失、ベント操作、海水注入、といった事故場面の描写は、否が応でも福島第一原発の事故を想起させる物語ですが、作品が書かれたのは事故前の2008年。
    図らずも予言の書となってしまった感があります。

    「『ベイジン』は、我々がけっして忘れてはならない希望について書いた小説です。
    21世紀は「諦めの時代」なのかと思ってしまうことがあります。努力しても頑張っても報われない。何かに果敢に挑むより、最初から闘わず諦めてしまう。でも諦めからは何も生まれない。
    私はそう信じています。」

    (Amazonの商品説明、「著者からのコメント」)

    2014-09-07-19.02『ぐるぐるまわるすべり台』
    中村 航/文春文庫
    2006年5月発行
    第26回(2004年) 野間文芸新人賞受賞

    「黄金らせんはオウム貝の殻や、ヤギの角などに現れることでも知られています。生物の成長というのはすなわち、相似な変形の繰り返しであるという原則が、このことからもわかります。つまり黄金比は物事が成長するときの普遍的な比率なのです。それゆえに我々は美しいと感じるのかもしれません。」

    上記は、老教授が建築概論を教える講義室の一場面。こんな授業を受けてみたいものだと思いました。静かで贅沢な時間。
    物語は、主人公が大学を中退するところから始まります。
    彼は、塾の講師をしながら、バンドメンバー募集専用サイトでバンド仲間を探すのです。
    「熱くてクール、馬鹿でクレーバー、新しいけど懐かしく、格好悪いくらいに格好いい、泣けて笑えるロックンロール。拡大と収縮、原理と応用。最高にして最低なメンバーを大募集。19歳」
    彼がメンバーへの課題曲に選んだのが、ビートルズの「ヘルター・スケルター」
    「ヘルター・スケルター」は、「しっちゃかめっちゃか」というような意味合いに訳されますが、元々の意味は、「らせん状のすべり台」のことだそうです。
    毒気の強いニュースばかりが目につく世の中にあって、久々に毒気も悪意も一切ない青春物語を読んだなあって感じです。
    主人公は、とてもナイーブ。
    若い頃は私だって、いまみたいじゃない、もっともっとナイーブだったと思う。そして“若い”って昔も今も結構シンドイことだって思います。

    2014-09-07-19.24『火星ダーク・バラード』
    上田 早夕里/ハルキ文庫
    2008年10月発行
    第四回小松左京賞

    「人類に進化なんてものはない。ただ、環境への過剰な適応があるだけよ。」

    舞台は火星。
    殺人容疑をかけられた火星治安管理局員の水島と、生まれつき他人の感情を読む能力のある少女、アデリーンとのロマンスを主軸とした、ハードボイルドタッチのSFサスペンスです。
    アデリーンはプログレッシブと呼ばれる新人類。
    プログレッシブは、宇宙のいかなる過酷な環境にも適応できるよう、遺伝子操作によってデザインされて生み出されるという。
    「重力変化、温度変化、宇宙放射線、酸素濃度、などの異なる環境に耐え、寿命は長く、他者と不毛な争いをせず、優れた共感性を持ち、より高い知性を備えた人類」をつくるために・・・・。

    人類が生き延びるには、もう宇宙に出ていくしかない未来が、いつかきっとやってくるのでしょうね。
    2023年、人類火星移住計画」によると、火星移住計画「マーズワン・プロジェクト」は、すでに現実発進しているようです。(→http://www.tel.co.jp/museum/magazine/spacedev/130422_interview02/index.html
    第1回目チームの飛行士4人を募集したところ、行ったら帰ってはこれない片道切符のミッションにもかかわらず「希望者は全世界から20万人にも及んだそうで、昨年末の12月30日、移住希望者の中から1058人の候補者が選出された。その中には日本人10人も含まれている」(「2025年、火星への片道切符の旅。日本人10人が最終選考に入る。」→http://karapaia.livedoor.biz/archives/52150116.html参照)そうです。
    こんなにも勇気と犠牲精神にあふれた人たちがいるなんて、すごい!それだけでも人類の未来に希望が持てる話です。
    ただ、「2023年火星移住計画“MarsOne”は夢の話だろうか」を読むと、技術的な不安要素も多く、お隣の星へ行くのも容易ではありません。
    地球で死ぬも火星で死ぬも同じと言えば同じだけど、火星での開拓生活がどれほど過酷なものになるのか、想像もつかないところが怖い。

    2014-09-07-19.05『文章読本さん江』
    斎藤 美奈子/ちくま文庫
    2007年12月発行
    第1回小林秀雄賞

    「服飾史と文章史には、共通した大きな原則がある。
    第一に、衣装も文章も、放っておけばかならず大衆化し、簡略化し、カジュアル化するということである。」
    「服だもん。必要ならば、TPOごとに着替えりゃいいのだ。で、服だもん。いつどこでどんなものを着るかは、本来、人に指図されるようなものではないのである。」

    文章読本とは、「文章の上達法を説く本」のことを言う。
    古くから谷崎潤一郎とか三島由紀夫とか、名だたる文豪たちが文章作法書として「文章読本」を書いてきたらしい。
    本書は明治から現代にいたるまでの「文章読本」を多数取り上げ、文例をあげて(この文例が面白い!)、検証していく「文章読本」の歴史書みたいなもの。それによって文章というものが、時代とともにどのように変遷してきたかよく分かる。そして、いつもながら斎藤美奈子さんの文章は痛快!気持ちいい。

    本書を読めば文章が上達する、わけでは決してないですが、小中学校の頃、作文が嫌いだった、という皆さんにぜひとも読んでいただきたい、お薦めの一冊です。
    私も作文が大嫌いでした。
    「嫌い」の一番の理由は、先生の「思ったことを素直に、あるがままに書きなさい」っていう言葉だったと思うのです。私の小学生の頃はそういう指導でした。
    これを「作文の私小説化」と斉藤美奈子さんは言う。
    まったくその通りです。

    子供の頃の私には、自分の身の回りの狭い範囲のことしか題材がなく、それを書くということは、プライバシーを先生に覗かれるみたいで、すごく抵抗がありました。
    大人になって、ブログというツールを手に入れた現在、書いたものをまず先生に見せる必要がないことが、とてもありがたい。

    2014-09-07-01.25『喪失』
    モー・ヘイダー/ハヤカワポケットミステリーブックス
    2012年12月発行
    2012年度アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞

    セラピーセッションで持ち上がった問題のひとつは、コーリーがジャニスを伝統的な妻ではないと感じることがあるという点だった。
    テーブルにはいつも夕食が用意され、朝はベッドまで紅茶が運ばれるにもかかわらず。
    ジャニスが仕事と子育てを両立させているにもかかわらず、コーリーはなおも重箱の隅をほじくるのだ。
    家に帰ったときに、焼き上がったばかりのケーキがあってほしいとか。弁当を持たせて、何なら昼食時に喜ばせてくれるちょっとしたラブレターも添えてほしいとか。

    イギリスの伝統的な妻とはなんと大変なことか、と驚きました。
    お弁当にラブレターを添えなくて済む分、日本の良妻賢母と呼ばれる主婦の方がまだましとさえ思えます。
    ちょっと大袈裟に書いているんじゃないの?と思い「イギリスの家庭」で検索してみると、「家族に関する国際調査」(http://www.suntory.co.jp/culture-sports/jisedai/active/family/2_2.html参照)というサイトがありました。
    それによると、イギリスも「急激な単身化・単親化と離婚率の上昇」があり、伝統的な家族形態は崩壊しつつあるとのこと。しかし仕事より家庭を大事にし、家族と密接な関係を持とうとする姿勢は、今も変わらないらしい。
    女性の家事分担が大きいが、最近では「男性にも家事をすることが期待されていて、育児をしない男性は同性からも不謹慎にみられる」とあります。先進国と言われる国はどこも似たような状況のようです。
    まあ、これは、作品の内容とはあまり関係のない話ですが。

    今邑彩の短編集「鬼」

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    ミステリー作家の今邑彩(いまむら・あや)さんが死去されたことを、1年以上も経った今頃知りました。
    ネットニュースによると、昨年の「3月6日に自宅で倒れたまま亡くなっているのが発見された。約2年前から乳がんを患い、2月上旬に死去したとみられる。」そうです。57歳でした。

    昨年の秋ごろには、「ルームメイト」が北川景子主演で映画化されたと話題になっていたので、てっきり現在もご活躍のことと思い込んでいました。
    もう新作が読めないことも、とても残念です。

    最初は文庫本の表紙絵に惹かれて読み始めた作家でしたが、心理的な恐怖をミステリアスに描いて、ひんやりとした異世界に足を踏み入れたような気分を味わさせる作風が好きでした。
    ミステリー作家というよりは、ダークな世界のストーリーテラーといった感じです。

    yomotuhirasaka幼い頃、たぶん5,6歳の頃、近所にちょっと変わったオジサンがいました。夕方、近所の子供たちを集めて、「怖い話」をしてくれるのです。
    オジサンと言っても、今思えばまだ30代くらいの人だったかも。何しろ遠い記憶で、覚えているのはオジサンが小さな女の子と二人で暮らしていたこと。あるとき近所に越してきて、間もなくふっつりといなくなってしまったこと。オジサンの「怖い話」を聞いた後は、走って家に帰ったこと。

    今邑彩の作品を読んでいて、そんな子供の頃の記憶が甦りました。
    テレビがお茶の間にやってくる前は、そんな町のストーリーテラーが日本中のいたるところにいて、子供たちを怖がらせたり、楽しませたりしていたのではないかと思います。

    個人的な好みでいえば、今邑彩の作品では、長編より短編の方が気に入っています。
    その中でも特に好きな作品が、短編集「鬼」(集英社文庫:2011/2/18)に収録されている表題となった『鬼』です。

    『鬼』は、7歳の頃、一緒にかくれんぼをして遊んだ5人の幼馴染みの物語。
    夏休みのある日、鬼になったみっちゃんは、いつまで待っても姿をあらわさなかった。その後、古井戸から変わり果てた姿となって発見された。それから数年が経ち、残った幼馴染みは一人、また一人と死んでいく。皆、死の間際に、白いブラウスに赤いスカートをはいた女の子の姿を見ていた・・・・

    と、粗筋を書くとまるっきりホラーな感じですが、しかし『鬼』はホラーではない。心にじんわりと沁みる物語です。
    「それから、すこしわらった。」というラストの1行は、私の胸にも強く響きました。
    私もいつしか主人公の心境に共感できる年齢になった、いえ、共感できる立場になっちゃったなあと思うのです。

    文庫版の著者あとがきによると、今邑彩さんもこの短編集が、ご自身の短編集の中で一番お気に入りだそうです。
    今邑彩さんは亡くなってからずい分日が経って発見されたとのことで、彼女の最期を見た人は誰もいない。だから、私は、彼女はすこし笑って異世界に旅立った、と思いたい。

    特捜部Q-キジ殺し-/ユッシ・エーズラ・オールスン

    kijigorosiハヤカワ・ミステリ文庫 (2013/4/5)

    コペンハーゲン警察『特捜部Q』シリーズの第2弾です。
    1作目の『特捜部Q ―檻の中の女― 』で、ミレーデ・ルンゴー事件を解決したカール・マーク。
    その功績が認められ、特捜部Qには新たに女性メンバー、ローセが加わることになりました。
    このローセが実は他の部署から厄介払いされた問題のある女性で、何かにつけカール・マークをイラつかせます。
    ローセだけでなく、カール・マークを取り巻く登場人物は、カールの上司も同僚もアシスタントの謎のシリア人も元妻も義理の息子も間借り人も、ひと癖もふた癖もあり、カールの苛立ちの対象となるのです。
    過去の事件で負傷し、脊髄損傷病院のベッドで寝たきりになっている元部下ハーディは、カールが見舞うたびに自殺願望を口にしてカールを悩ませるし、美貌の心理療法カウンセラー、モーナ・イプスンに対しても、カールは想いが募りすぎて苛立っている。
    カールは、いつだって誰かに何かにイラついたりムカついたりしている。そもそもカール自身が周囲の人をイラつかせてしまう厄介者だっていうのに。

    うかつにも私は、1作目『特捜部Q ―檻の中の女― 』を読んだあとカール・マークについて、「キャラクター設定はダーティハリーのハリー・キャラハンを継承しているように思う」とか、「日本でドラマ化されるとしたら、カール・マーク役に西島秀俊なんてどうでしょう?」などと書いていますが、これはとんでもない的外れでした。
    カール・マークとローセとのやり取りは、まるでお笑いコントだし、美貌の心理療法カウンセラーへの恋心は、思春期の少年並み。まったく大人じゃない。
    大柄で、茶色の革ベルトをしていて、サイズ45の履き古したドタ靴(27.5㎝:「靴サイズ対応表」 参照)を履き、彼の頭には、お尻みたいな形のハゲがある。

    西島秀俊には、とてもさせたくないキャラクターです。

    さて肝心なストーリーの方はと言えば、今回はかなり残虐な暴力シーンが多い。
    それというのも、上流階級の家庭に生まれ、寄宿学校で出会い、『時計じかけのオレンジ』に魅了された、サディステッィクな若者たちが犯人だからです。
    と、いきなり犯人をバラシちゃっても大丈夫。本書は、早い段階で犯人が明らかになります。

    「罪のない者を痛めつけることは、彼らにとって称賛すべきことでもなければ、恥じ入ることでもない。幼少のころから慣れ親しんできた、いわば習慣なのだ」という、この犯人たち。すなわち特権階級に生まれた育った彼ら。
    彼らへ報復することだけを心の支えに、過酷な路上生活を送るキミーと呼ばれる女。
    キミーもかつては上流家庭に育った令嬢だった。
    キミーも彼ら以上に凶暴性を持っている。
    復讐のために彼らに徐々に迫っていくキミー。
    事件の真相を明らかにするため、キミーを探し回るカール。
    果たしてキミーの復讐は遂げられるのか。
    といったところがスリリングな、リベンジ・サスペンスストーリーです。

    それにしても、暴力描写が凄まじい。犯人たちは残虐で凶暴。
    こんな犯罪小説はまっぴら!と言いたいところですが、実は3作目『特捜部Q ―Pからのメッセージ―』もすでに購入済みです。どうも私は、『特捜部Q』シリーズに嵌ってしまったらしい。
    本書の解説で作家の恩田陸さんは、『特捜部Q』を「ある意味寓話的な、おとぎの国の暴力の小説なのである」と書いています。アンデルセンの童話のように、身体的な痛みを伴う物語であると。
    確かに同じ警察小説でも、マイクル・コナリーのハリー・ボッシュ・シリーズと比較してしまうと、ストーリーのリアリティ度は低いかも。
    それでも嵌ってしまうのは、ハリー・ボッシュ・シリーズには無いユーモアがある。それに、登場人物の描写は、犯人をも含め、興味をそそられます。
    そしてまた、 カール・マークを通して感じられる、デンマークという国への興味も大きい。
    次回作でカールは、脊髄損傷病院から元部下ハーディを引き取って、自宅介護をすることになるので、ますます福祉国家デンマークの実態も見せてもらえそうです。

    特捜部Q「檻の中の女」/ユッシ・エーズラ・オールスン

    tokusoubujpg発売: 2012/10/5 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

    最近は家具や雑貨だけでなく、ミステリー界にも北欧ものが流行っているらしい。
    毎月のように次々と北欧ミステリーの翻訳本が出版されているので、私もブームに乗ってデンマーク発の警察小説を読んでみました。
    デンマークと言えば、子どもの頃アンデルセン童話を読んだ程度なので、この国が北欧の括りであることも、本土ではなくシェラン島という島に首都コペンハーゲンがあることも知りませんでした。
    私にとっては未知の国デンマークです。

    さて、本書、「特捜部Q『檻の中の女』」は、コペンハーゲン警察のカール・マーク警部補を主人公としたシリーズ第1作目になります。
    優秀だけど強引な捜査で何かと面倒を引き起こすカール。 皮肉屋で、上司には盾突くし、同僚とも衝突して、周囲の反感を買ってばかり。早い話が殺人捜査課の嫌われ者。
    このキャラクター設定は「ダーティハリー」のハリー・キャラハンを継承しているように思いますが、まあ、ハリーほどはクールじゃない。メンタルもタフとは言えない。

    二か月前、事件捜査の銃撃戦によって、一人の部下を失います。もう一人の部下は死こそ免れたものの、脊髄を損傷し病院で寝たきりの身となってしまいます。そのことがカールの負い目となり、心的外傷後ストレス障害となり、周囲にとってはますます扱いにくい厄介者となってしまいます。
    折しも警察は構造改革によって、新部署を立ち上げることになりました。それが「特捜部Q」。特に興味深い未解決事件を再捜査する、というのは建前で、実は予算獲得のために新設されたに過ぎない。そこのボスにカールを据える。刑事捜査課から厄介者を追い払って、しかも予算が増える。一石二鳥の得策と上層部は考えたわけです。
    こうしてコペンハーゲン警察の地下に「特捜部Q」が誕生し、カール・マークと謎のシリア人アシスタントの活躍が始まります。

    テレビドラマにうってつけのシチュエーションです。ドイツでは映画やテレビ化の話が進行中だというのも頷けます。
    もし日本でドラマ化されるとしたら、カール・マーク役に西島秀俊なんてどうでしょう?二枚目でクールなところをかなぐり捨てて、皮肉屋で嫌われ者の役をやって欲しい。
    謎のシリア人アシスタントには、顔の濃さで北村一輝でもいけるかもしれない。
    金使いが荒く、年下の愛人をとっかえひっかえ、好き放題に暮らしている別居中の妻に小雪。
    母親に愛想をつかしてカールと同居しているが、母親に似て好き勝手に振舞まい、毎度カールをイラつかせる義理の息子に瀬戸康史を。
    代理主婦のごとく家事をこなして、しかも家賃まで納めてくれる、オペラが好きで料理の上手い下宿人に稲垣吾郎。
    美人心理カウンセラーには鈴木京香・・・・

    などと勝手に妄想キャスティングしていますが、はて、カール・マークは何歳なのだろう?と改めて読んでみると、「年金生活に入るまであと20年」という記述がありました。
    では、デンマークの年金受給年齢は?と調べてみると、2004年からは65歳となっているようです。それでいくとカールは45歳前後となりますね。

    本書の中で、年金のことを話題にしている場面が何度かあったので、さらに調べてみると、デンマークの年金システムはなかなか興味深いものでした。
    国民年金は、居住年数を満たせば全ての国民に定額の年金が支給されるユニバーサルな年金で、財源は全て税金である。支給開始年齢は65歳で、40年間居住で満額を受け取ることができる。『デンマークの年金制度」から引用』」
    というわけで、「年金制度の国際比較」によると、「公的年金が老後の生活に十分なだけ支払われているか」「平均寿命と支給開始年齢の関係はよいか」「年金制度を運用するための見直し機能や透明性は図られているか」などの観点から、デンマークは、「十分に積み立てられた年金とその給付水準が評価され、第1位となっている」そうです。

    住み続けるだけ(15歳から65歳までの居住年数で年金額が決まる)で年金が支給されるなんて、羨ましい話です。
    そんなシステムなら、誰だって住み続けますよ、死ぬまで。
    しかし、そんなデンマークも年金改革が進行中で、
    今後の高齢化の進行に備え、2006年の与野党合意による法改正で、2024~27年にかけて国民年金の支給開始年齢は再び67歳に引上げられることになった。また2030年から支給開始年齢を平均余命に連動させる仕組みも導入される。『デンマークの年金制度」から引用』
    だそうです。いずこも高齢化が問題です。
    我が国の場合、老体に鞭打って年金受給年齢まで働いて、手にする給付金が「老後の生活に十分」な額とはならないところがツライのですが。

    追記:デンマークは年金を税金で賄うわけだから、税金は高い。「消費税25%・平均的な所得税が約46%と高納税国」だという。それでも「国民の幸福度」調査で第一位となっている。しかし、もちろん良いことばかりでもないわけで・・・。デンマークの高納税国としての暮らし方とその問題点」参照

     

    「ジェノサイド」高野 和明

    genocide出版:角川書店
    2011年3月発行

    このミステリーがすごい!2012年版」国内編第1位
    「週刊文春ミステリーベスト10」国内部門 第1位
    第2回山田風太郎賞受賞
    35万部突破!ベストセラー爆走中!!

    と、帯に華々しい惹句が並び、その人気度を誇示しているのが、本書「ジェノサイド」です。
    さらに
    「読み始めたら眠れなくて、朝4時まで読んでしまいました。/谷原章介」とか、
    「この物語は、人類の行方を予言している/中江有里」とか
    「己の血に誇りを持ち、己の知をもって未来と世界を築いていく。日本人にはそれができると信じている。/杏」
    「超面白かったです!『アバタ―』を3本分見たくらいの達成感があります!/鈴木おさむ」
    など、有名人のレビューが並べられ、読者の興奮度と出版社の意気込みが伝わってきます。

    この手の売り込みに乗せられて、読んでみたらがっかりということもままありますよね。
    しかし、当サイトの「映画と読書」でも、ああるさんが「壮大なスケールで、すごい。」と評していたので、文庫化されるのを待っていられなくなり、単行本をブックオフで手に入れました。

    「ミステリーは文庫で!」のマイルールを破って読んだ本書ですが、面白かった!大画面3Dサラウンド映画を観ているようでした。アフリカと日本とホワイトハウスを行ったり来たり。
    とは言え、内容的には現在私が生きているこの世界の、ダークな側面を次から次へと見せられるものであり、面白がってばかりはいられないのだけれど。

    ネット検索依存症の私は、気になるワードを検索しながら、この本を読みました。
    私が調べたのは以下のワード。

    • ジェノサイド
    • ハイズマン・レポート
    • シリア 拷問施設
    • 肺胞上皮細胞硬化症
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    • 韓国語 情 ジョン
    • ビラ人
    • アロステリック
    • 武装無人偵察機プレデター
    • 「ヒトと進化」
    • 「ウィルス進化論」

    本書の中では、「全世界に普及しているアメリカ製のコンピュータのOS全品に、合衆国の諜報機関に通じるバックドアが仕込まれている」というトンデモナイ話が出てくるのですが、先週、元CIA職員の内部告発がニュースで流れ、トンデモナイ話と思ったものが、俄に信憑性を帯びてきました。
    内部告発は、「NSA(米情報機関の国家安全保障局)がPRISM(プリズム)という暗号名のインターネット監視システムによって、マイクロソフトやヤフー、グーグル、フェイスブックなどのサーバーからユーザーの電子メールや写真、利用記録などの情報を収集していた。さらに、バラク・オバマ大統領がアメリカのサイバー攻撃の『標的』となる国外の人物をリストアップするようNSAに要請していた」(「グーグルやフェイスブックの個人情報を収集して監視する米政府の秘密が明るみに」参照)というもの。

    いつ誰に狙われるか分からないからと、盗聴やハッキングによって他人の個人情報を盗み出し、常に行動を監視し続けるという行為は、個人がやったら刑務所行きか精神鑑定もの。
    国家レベルでやればテロ対策という大義名分が与えられます。
    「安全保障」のためには「言論の自由」を犠牲にするのもやむ得ない、という世論の声も大きいようです。
    日本も時勢に乗り遅れまいと、「国家安全保障会議(NSC:National SecurityCouncil)が創設される」ことになるそうです。(「“スパイ天国”日本に国家安全保障会議設置 CIA機能もない、体裁だけの機関」参照)

    世界を盗聴、監視し続ければ、果たして世界は平和になるのか、疑問に思います。
    むしろ、世界終末時計の針を進めるだけなのでは。
    いえ、そもそも現人類の権力者たちは、平和なんて望んでいないのでは。

    「過去20万年間に亘って殺し合いを繰り返してきた人類は、常に他集団からの侵略に怯え、疑心暗鬼が被害妄想寸前の状態で維持され、国家なる防衛体制を作り上げて現在に至っている。この異常な心理状態は、人類が遍(あまね)く共有しているために異常でなく正常と見做される。これが〝人間という状態”だ。
    そして、完全なる平和が達成されないのは、他者が危険であるという確固たる証拠を、互いが己の内面に見ているからだ。人は皆、他者を傷つけてでも食料や資源や領土を奪い取りたいのだ。その本性を敵に投影して恐怖し、攻撃しようとしているのだ。」(「ジェノサイド」から抜粋)


    追記:
    元CIA職員の内部告発については、2014年に『「暴露」スノーデンが私に託したファイル/グレン・グリーンウォルド』という本が出ています。

    「エンジェルズ・フライト」マイクル・コナリー

    angels出版社: 扶桑社 (2006/01)
    内容(Amazon.co.jp「BOOK」データベースより)
    LAのダウンタウンにあるケーブルカー、“エンジェルズ・フライト”の頂上駅で惨殺死体が発見された。被害者の一人は、辣腕で知られる黒人の人権派弁護士ハワード・エライアス。市警察の長年の宿敵ともいえる弁護士の死に、マスコミは警官の犯行を疑う。殺人課のボッシュは、部下を率いて事件の捜査にあたるが…。緻密なプロットと圧倒的な筆力で現代アメリカの闇を描き出す、警察小説の最高峰“ハリー・ボッシュ”シリーズ第六弾、ついに待望の文庫化。単行本『堕天使は地獄へ飛ぶ』改題。

    いつだったか、子供の頃、仏教に基づいて描かれた「地獄絵図」というのを見たことがあります。水木しげるの漫画だったような覚えがあるけど、あまり定かではありません。見たくて見たわけでなく何かの拍子にうっかり見てしまい、口にするのもおぞましい、文字にするのも恐ろしい、残虐でグロテスクな刑罰の数々、亡者の姿に衝撃を受けました。
    とにかく私はすごい怖がりなので、ホラーなものは受け付けません。「これはただの絵なんだ、誰かの妄想で作り上げたニセモノの世界なんだ」と自分に言い聞かせ、「天国」というのもないけど「地獄」だってないんだから!(何故か天使と閻魔様・・・和洋折衷なんですけど)と現世以外の存在を否定してきました。

    しかし、現世にこそ「地獄」があるのだ、と容赦なく突きつけるのが、この本、マイクル・コナリーの「エンジェルズ・フライト」です。
    「エンジェルズ・フライト」とはロサンゼルスのバンカー・ヒルという再開発された丘の頂上(高級住宅地&最新オフィス街)から丘の下を結ぶ、短距離ケーブルカーのことだそうです。美しいネーミングです。
    そのケーブルカーの中で黒人弁護士の射殺死体が発見されるところから物語は始まります。その後の展開は、1992年に起きたロス暴動の事件と推移をなぞる形になっています。さらに、物語には1996年に起きたジョンベネちゃん事件を想起させる児童殺害事件が加わり、、、、

    マイケル・コナリーの筆致は劇場映画を観ているような臨場感にあふれ、迫力があるだけに、本当にこのまま映像化されたとしたら、私はとても直視できないと思う。読書しながらも、目を覆うような凄惨な場面にはボカシをかけて、細部まで想像しないようにして読んでしまいました・・・。

    しかし、この本に書かれていることは、決して誰かの妄想ではない。現実にあることをなぞっているのであり、ロサンゼルスの町に地獄を作り出している一番の要因は人種差別であり、人種差別からくる貧困であるということを考えさせます。

    ところで、私は長いこと、ロサンゼルスの名前はLoss Angelsで、「天使たちのいない」という意味だと思い込んでいました。日本にある「神無月」みたいに、本当は天使のたまり場なんだけど、他の街に天使たちが出払っているからこんな名前になったのだ、というエピソードも勝手に作っていたんですけど。
    本当はLos Angelesで「天使たち」そのまんまの名前だと、実は今日初めて知りました。ロサンゼルスを舞台にしたハードボイルド小説などでは、「天使のいない街にようこそ」なんてセリフがあったりするんですが、あれはただの掛けことばによる皮肉だったようですね。(いまごろ・・・)

    「わが心臓の痛み」マイクル コナリー

    wagasinzou出版社: 扶桑社 (2002/11)

    内容(Amazon.co.jp「BOOK」データベースより)

    連続殺人犯を追い、数々の難事件を解決してきたFBI捜査官テリー・マッケイレブ。長年にわたる激務とストレスがもとで、心筋症の悪化に倒れた彼は、早期引退を余儀なくされた。その後、心臓移植の手術を受けて退院した彼のもとに、美しき女性グラシエラが現われる。彼女は、マッケイレブの胸にある心臓がコンビニ強盗に遭って絶命した妹のものだと語った。悪に対する怒りに駆り立てられたマッケイレブは再び捜査に乗り出す。因縁の糸に繰られ、事件はやがてほつれ目を見せはじめるが…。 

    映画と読書」で紹介されていたマイクル・コナリーの「暗く聖なる夜」を読んでから、この作者のハードボイルドタッチが気に入っています。
    少し細か過ぎるかなと思うほど、ディテールを丁寧に書き込んでいます。小説の中で登場人物の一人が推理小説を読んでいる場面があるのですが、「今西警部、捜査す」という日本のミステリーです。これがなんと松本清張の「砂の器」のことだと注訳がありました。こういう、ちょっとした「へぇ~」を見つけるのも、海外小説の面白さです。
    「わが心臓の痛み」は原題の「Blood work」のタイトルで映画化されたそうです。文庫のカバーにもなっているので分るようにクリント・イーストウッド主演。及び監督・制作も。
    クリント・イーストウッドと言えば、私が子供の頃初めてカッコイイ!と思ったヒーローです。「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」、その後の「ダーティ・ハリー」シリーズ。思えばこの頃に私の「ハードボイルドでアウトロー」な好みが形成されたのでしょう。原点はクリント・イーストウッドに違いありません。
    彼の映画を最後に観たのは「許されざる者」。夫と二人でDVDで観ました。夫は「いい映画だ。」とかなり感動していましたが、私は「我がヒーローも歳をとったなあ」としみじみしたものです。
    ところで、今夜は「歳をとるのは怖い」と思い知らされることがありました。
    ブックオフで次なるマイクル・コナリーを手に入れて嬉々として車で帰宅する私。大きな交差点の最前列で信号待ちしていると、車をぶつけられました。
    信号待ちでぶつけられるというと、追突されたのだろうと思うでしょう?違うんです。左折するつもりだったらしい車が、大回りに曲がって、信号待ちしている車の列に突っ込んできたんです。とろとろしたスピードで、ひょろひょろと私の車の正面左寄りにやってきてコトンとぶつかり、ガリッとボディをこすって、私の車と隣の車の間をすり抜けようとしました。運転しているのは80歳をとうに過ぎていると思われるご老人でした。
    その時信号が青になったので他の車はそのご老人の車を避けながら、いっせいに走り出し、動けないのは私の車だけ。バックミラーで見てみると、そのご老人の車はするすると私の後方を走って行き、そのまま左車線を逆走していくようでした。一人取り残された私。仕方が無いのでそのまま帰ってきました。
    高齢者の危険運転のことがニュースになったりしますが、本当に怖いですね。今夜を境にその方が運転をやめる決心をしてくれたらいいと思うのですが。
    「歳をとるということは昨日までできていたことが、今日からはできなくなること。」そうなんですねぇ。