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  • レディオヘッドと「1984年」
  • レディオヘッドと「1984年」

    「わたしはずっと恋焦がれていたのである。フジロックに。
    どこかの山奥で、なにやら楽しげなフェスティバルが毎年開かれていることは、雑誌の記事等で知っていた。」
    これは、奥田英朗のエッセイ「用もないのに」(文春文庫/2012年)の遠足編、「おやじフジロックに行く。しかも雨・・・・。」の書き出しです。youmonainoni
    これを読んで私は、フジロックという日本最大規模の野外音楽フェスティバルがあること、しかも私が20代の頃好きだったニール・ヤングが出演したりもすることを、今年になって初めて知りました。

    今年も7月29日、30日、31日の3日間開催されたようです。
    そして今年はなんとレディオヘッドが登場!

    1998年のある日「OKコンピューター」を聴いて以来、私はレディオヘッドのファンになり、それ以降アルバムを買い続けて、それ以前のものも全て手に入れ、なによりも新しいアルバムが出るごとにその音楽性が好きになっていく稀有な存在。
    ファンとしてはフジロックに飛んで行きたいところでしたが、鹿児島県民にとって新潟県蔵王は遠すぎます。むしろ韓国の方が近い。
    会場に入ってからも何万人の人波の中を泳ぐなんて、私にはそんなエネルギーはありません。若くないのです。

    さて、レディオヘッド繋がりで、ジョージ・オーウェルの「1984年」をメモしておきます。
    レディオヘッドの6枚目のアルバム『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』の1曲目「2+2=5」は、この「1984年」にインスパイアされて作られたものです。
    不安を掻き立てるような印象的な曲で、プロモーションビデオのアニメーションが、ちょっとエグい。 

    「1984年」を読むと、なるほど、そんなイメージがある小説でした。

    1984

     1984年[新訳版]  ジョージ・オーウェル

    早川書房; 新訳版 (2009/7/18) 高橋和久 訳
    内容(Amazon.co.jp 「BOOK」データベースより)
    “ビッグ・ブラザー”率いる党が支配する全体主義的近未来。ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務する党員で、歴史の改竄が仕事だった。彼は、完璧な屈従を強いる体制に以前より不満を抱いていた。ある時、奔放な美女ジュリアと恋に落ちたことを契機に、彼は伝説的な裏切り者が組織したと噂される反政府地下活動に惹かれるようになるが…。二十世紀世界文学の最高傑作が新訳版で登場。

    1949年に書かれた近未来小説です。和暦で言えば戦後まもない昭和24年。
    約30年後の近未来、1984年(昭和59年)を舞台に書かれています。
    1984年、世界はオセアニア、ユーラシア、イートネシア、三大国にまとめられ、この三国は常にどちらかの国と戦争状態にある。
    オセアニアは極度に管理された全体主義社会であり、党の幹部、一般党員、プロール(貧民労働者)の三つの階層で構成され、常に「テレスクリーン」によって、党員たちは24時間監視されている。というのがおおまかな設定。党には、名前と実態が裏腹な4つの省があります。

    • 「平和省」・・・戦争の遂行。
      「豊富省」・・・不足する食料や物資の、配給と統制を行う。
      「真理省」・・・歴史記録や新聞を、党の最新の発表に基づき改竄する。
      「愛情省」・・・拷問担当。

    全てが「二重思考」のもとに運営される社会です。
    「二重思考」とは、「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」
    作品の中で幾度も繰り返される『2+2=5』。これも二重思考で考えると、2+2=4であることを知っているが、2+2=5であることが真実であることを疑わないこと、となります。

    「二重思考」のほか、社会を管理統治しやすくする装置として、

    • 二十四時間監視する・・・「テレスクリーン」
      単純化された言葉・・・「ニュースピーク」
      仮想敵を想定して、これを憎悪させる・・・「憎悪週間」、「二分間憎悪」
      反逆者には拷問・・・「思考警察」、「非在人間」

    などなど、作家の生み出した造語にはインパクトがあります。

    作品の中で主人公ウィンストン・スミスはテレスクリーンの死角をみつけ、こっそり日記にこんな言葉を書きます。

    自由とは2足す2が4であると言える自由である。その自由が認められるならば、他の自由はすべて後からついてくる。

    恋に落ち、自由を求める主人公とその恋人。拷問による服従に「愛」は勝てるのだろうか?
    語り尽くせない本です。読むべき1冊だと思います。
    付録の「ニュースピークの諸原理」、トマス・ピンチョンによる28ページに及ぶ解説も必読です。
    蛇足ながら、訳者あとがきによると、英国で「読んだふり本」第一位の本でもあるそうです。

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    2 thoughts on “レディオヘッドと「1984年」

    1. atcon 投稿作成者

      是非、変わるところを見たい。
      でも他人事でなく、日本も決して民主主義の国とは言えないし、この先どう変わっていくのか、などと考えたりして、まあ、何も分からないのだけど。

      返信
    2. あある

      中国のバンドもフジロックに出ることを自慢したりしてるのです。

      1984は、挫折中のまま。どうしても連想される半島の国は、少し変わる気配を見せているのか?

      返信