「僕の人生には事件が起きない/岩井勇気」幸せというハンデ

「僕の人生には事件が起きない」

著者:岩井勇気
発行:2019年/新潮社


昨年の小晦日には米粒写経・サンキュータツオさんの「もっとヘンな論文」で締めくくりましたが、2021年の始まりもお笑い芸人繋がりで、ハライチ・岩井勇気さんの「僕の人生には事件が起きない」を紹介したいと思います。

岩井勇気さんといえば、ハライチの澤部”じゃない方”という認知のされかたで、腐れ芸人とも呼ばれる。漫才については、正直言って印象に残っていないのだけど、「マジ歌選手権」では、かなり毒のある替え歌が面白い人。というのが私の持っている知識の全てです。

本書を読むと岩井勇気さんは、

  • 都会でも田舎でもない埼玉出身。
  • 実家は多少貧しい時期もあったけど、自慢できるほどの貧乏はない。
  • 中高生時代、いじめられたこともなければ特にクラスの人気者でもなかった。
  • 芸人になって3年程度でテレビに呼ばれるようになり、下積みの苦労がない。
  • 30歳になるまで実家住まいで、家族仲もよい。
  • 実家を出て一人暮しを始めて現在に至るまで特に苦労はなく、アニメやアート鑑賞や音楽や料理など趣味を楽しんでいる。

一般人であれば、いい家族の元に育ち苦労なく社会生活を送り好きなこともできて幸せな人生と言えるけど、芸人としては面白い話や波乱万丈の苦労話もなく、バラエティ番組などにおいて語るべきエピソードがない。
不幸要素がないことは芸人にとってハンデとなる場合もあるようです。

しかし、岩井勇気さんは何もない人生に事件が起こることを望むわけでなく、話を盛ることもない。「普通に生活している日常を面白がる」という才能を開花させ、今では「ハライチの”じゃない方”が面白い」と評価されるまでになっています。

そういうわけで、本書「僕の人生には事件が起きない」は、ほんとに何でもない日常のささいなことを書き連ねているエッセイです。
いやいやホントにどーでもいい話ばかりなのですが、それが、ちょっとだけ面白い。
「ルイ・ヴィトンの7階にいる白いペンギンを見張る人」とか、「通販の段ボールを切り刻んで感じた後味の悪さ」とか、私は好きなエピソードでした。





「もっとヘンな論文/サンキュータツオ」私の憧れ-研究の世界!

中学生のころ、私は研究者という仕事に憧れていました。
大学に行って研究室に入り、誰も取り組まないようなニッチな研究対象をみつけ、生涯をかけ成果を出すこともなく死んでゆく、そんな無名の研究者になりたい。と夢見たことがありました。なんかロマンチックな憧れ。子供らしい!

けど、今思うと本当のところは、研究所を自分の部屋代わりにして引きこもっていたいだけなのかも。まあ、変種のニートライフ願望ですね。
〝成果を出すこともなく”というところに、研究に打ち込む本気度が感じられない、〝社会人になりたくないんだ”という本音が見えます。

そんな過去の記憶が、この『もっとヘンな論文』というタイトルに共鳴し、読んでみることにしました。
そう、“ヘンな論文”とは、世の中の人が研究しようと考えたことがないだろうと思われるニッチな事象に、人生のある時間を費やした人々の成果を、形に残したものです。

本書で紹介されている主要な論文は以下の10本

  1. 「プロ野球選手と結婚するための方法論に関する研究」
  2. 「『追いかけてくるもの』研究 -諸相と変容ー」
  3. 「縄文時代におけるクリ果実の大きさの変化」
  4. 「竹取の翁の年齢について」
  5. 「『起き上がるカブトムシ』の観察 -環境-行為系の創発」
  6. 「曖昧さが残る場所ー競艇場のエスノグラフィー」
  7. 「『過去生の記憶』を持つ子供について -日本人児童の事例ー」
  8. 「マンガの社会学:鍼灸・柔道整復の社会認知」
  9. 「花札の図像学的考察」
  10. 「『坊っちゃん』と瀬戸内航路」

番外編として

  1. 「男女の下着の嗜好性と印象の評価」
  2. 「デート中の性行動の期待と正当性についての男女の認知差ーデートの誘いとデート内容が及ぼす影響ー」
  3. 「青年期における恋愛と性行動に関する研究 デート状況と性行動の正当性認知との関係」
  4. 「片手袋研究」
  5. 「メロスの全力を検証」

以上の論文について著者のサンキュータツオさんが、芸人みたいなツッコミを交えて愛ある解説をされているので、楽しく読める本となっています。

サンキュータツオさんは、「研究は、なにも大学院に進学し、修士論文や博士論文を書いてどこかの組織に所属しなければできない、というものではない。
誰でも研究者になれる」と書いていて、私の子供時分の夢にも厳しくツッコミを入れられた気がしました。
検索してみると、実際に芸人さんで、漫才コンビ「米粒写経」のツッコミの方ということ。私が知らなかっただけで有名な方なのかもしれませんが。
YouTubeに公式チャンネルがあります。映画や書籍などについてのマニアックなトークが面白くて、さっそくチャンネル登録しました。

本書『もっとヘンな論文』の中で、よくぞ研究してくれました!と個人的に感動した論文があります。
2013年度に発表された「メロスの全力を検証」です。
これはメロスが妹の結婚式に出席して帰ってくるまでの3日間を、距離や行動、かかった時間などをまとめ、文学を数学的に検証した論文です。
そして検証の結果、メロスはほぼ歩いている!!

『走れメロス』は、たぶん中学の国語の教科書で読んだと思いますが、あの物語のどこが良くて教科書に載せられているんだろうと、ずっと疑問に思っていました。
メロスは自分の欲望のために親友を犠牲にする身勝手な奴だし、人間不信から国民を処刑しまくるサイコパスな暴君が二人の友情に「感動した!」とかで、あっさり改心するって話ですよ。中学生でもすんなりとは呑み込めない無理筋なストーリーだと思うのですが。
なのに私が受けた授業では、単に美しい友情物語として語られたような覚えがあります。
中学・高校の国語教科教員免許を持っている、サンキュータツオさんによると、「『走れメロス』は国語科でも教え方が複数存在する単元として有名」だそうです。「果たして友情に厚いだけの男なのかどうか」ということを考えてもらいたいとする先生もいるらしい。
先生から「君たちはどう思う?」という問いかけがあり、生徒同士でディベートするような授業だったら、『走れメロス』は中学生に人間について、いろんなものの見方を考えさせる、いい教材なのかもしれません。
この「メロスの全力を検証」を書いたのも、中学二年生です。
きっと私同様メロスに何かしら疑惑を感じていたに違いありません。

ウィキペディアによると、『走れメロス』の中に書かれている「距離については文学的言い回しに過ぎず、実際に計算することは不可能」という説もあるようです。私としては「メロス徒歩説」に納得しているのですが、本当に計算が不可能な話なら、メロスにとっては風評被害となる論文でしょうか。それだとちょっと残念です。

まあでも、何はともあれ、疑問を持ったら研究してみる。研究したら検証結果を論文という形にする。論文を書いたら世の中に発信する。それが研究者の使命です。
「成果を出さなくてもいいなんて、研究をなめんなよ」と、中学生のころの自分を叱りたくなった一冊でした。

ロックの名盤ランキングに興奮しました

ローリングストーン誌が発表した「2020年版最も偉大なアルバム500」の、1位から100位までを紹介している動画を見つけました。
解説が楽しい動画です。

懐かしい~、持ってたわ、そのアルバム、レコードで。
あぁ、それ!!今も聴いてる!CDで。
私の好きなのがたくさんはいってるじゃん!って興奮しながら動画を観ていたのだけど、、、
しかし冷静に考えれば、好きなのがランクインしているのは当然のこと。
音楽関係者でもない、マニアでもない、ただのロック好きが聴くようなアルバムは、そもそも名盤だから世界的に流通しているわけで。
日本の地方の町にいても聴くことができる、私は、そういう名盤しか知らないわけですね。

100位までなんかじゃなく、500位まで全部もっと知りたい、と思ったら下記ローリングストーンジャパンで見れます。(※会員登録が必要です。)

ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高のアルバム」500選 | 2020年改訂版

ここではジャケット全ての画像も見れるし、アルバムの視聴もできますね。
かなりの時間さえかければ、もっともっと好きな曲に出会えそうです。

「Google keep」にストックしたメモ

何か気になる記事や言葉を見つけた時、とりあえず「Google keep」にメモを取ったりします。
それは後でブログを書くときに役に立つはず、と思っているのですが、なかなかブログ化できないまま溜まっていく一方です。

今日はそのうちのいくつかを、メモのまま載せてしまいます。


「知ってるか、三人に一人は被害妄想を患っているって?」
「そんなに少ないのか?」
「あとの二人はその一人を監視してる」

       『わたしを探して』p28から抜粋

    


バナナは冷蔵庫で保存すると皮は黒くなるが、剥くと白いまま美味しいらしい。


西暦和暦簡単変換

・《新元号と平成》平成から「30」を引いた数字が新元号
・《西暦と平成の計算方法》平成の年数から「12」を引いた数字が、西暦の  下2桁の数字になります。
・《西暦と昭和の変換》昭和の年数に「25」を足した数字が、西暦の下2桁  の数字になります。


人間とは、徒労の情熱である
選択の余地はなく、ただ徒労な生存期間をつづけ、それを自覚することしかない(サルトル)

いかに生きるべきかに関心を抱く人間は、それだけで、おのずから「アウトサイダー」なのだ                (p117)

根本的に言って、ロレンスは人間に興味を感じていなかった          (p136)

たいがいの人は、肉体よりもはるかに早く魂が老けるからだ。人類は、労役から遂になんの儲けも得なかった。        (p141)

どこまでも愚かしさをつきつめてゆけば、馬鹿でも賢くなる  (p267 ブレイクの言葉)

「アウトサイダー(上・下)コリン・ウィルソン」から抜粋


美術家・横尾忠則さんが創作秘話を語る!​ 通俗的なものにしか興味がなかった


ブラックに働ける人間は学校・部活が育てる!? 「耐えるのが美徳」「まるで奴隷根性」とさまざまな反応集まる


世界の富の82%、1%の富裕層に集中 国際NGO試算


どこかで拾ったセリフ

・「盆踊り文化」の対語は「カップル文化」
・2,3日遅刻するかも
・恋のアップグレード、つまり乗り換えだ(TVドラマから)
・低空飛行しとけば落ちても痛くないわ、みたいな。(cakesから)
・マネキンさえ着こなせない服だわ(ZARAの前で)


『未必のマクベス』
この本、当たりかな?外れか?
と値踏みしているうちに、どんどん惹き込まれていった。
最初は、気取ったビジネスマン物語ぽくて、参加していくことにちょっと手間取ったけど。

ずっと忘れることができなかった人を探す、ラブストーリー。
意外と面白い。

でも、大企業に入社すると、人殺しまでしなくちゃならなくなるのか!?普通の営業マンが?
と疑問は残る。



「人間関係のリセット癖が直らない」と悩む女性 その理由に共感の声が相次ぐ


「嘘つきは、戦争の始まり」宝島社が出した新聞広告に注目集まる「嘘に慣れるな、嘘を止めろ。今年、嘘をやっつけろ」

「我らが少女A / 高村薫」と現代アートのこと

「我らが少女A」高村薫 発売日 : 2019/7/20 出版社 : 毎日新聞出版

「我らが少女A」高村薫
発売日 : 2019/7/20 
出版社 : 毎日新聞出版

高村薫のデビュー作は、1990年第3回日本推理サスペンス大賞を受賞した『黄金を抱いて翔べ』。銀行の地下深くに眠る金塊強奪を企てる男たちの物語です。
その作品を読んだとき、緻密な犯罪計画に圧倒され、そして物語のディティールの肌理細やかな描写に圧倒されました。
微に入り細に入り時間を掛けた入念な犯罪計画があり、登場人物の心情にも多くのページを割いているので、読み進めてもなかなか銀行襲撃の瞬間は訪れず、いったいいつになったら計画は決行されるんだ!?と焦れながら読んだ覚えがあります。
結末はもう覚えていません。銀行襲撃は成功したんだっけ?いや、そんなことはどっちでもいい。本を読んでいる間、一緒に銀行襲撃を目論んでいる時間がスリリングでした。

その1冊で高村薫という作家に嵌り、『マークスの山』や『レディ・ジョーカー』などの合田雄一郎刑事シリーズを読み、合田雄一郎刑事のキャラクターにも大いに魅了されました。

本書『我らが少女A』は合田雄一郎刑事シリーズ、『冷血』以来7年ぶりの新作です。
なんと合田雄一郎は57歳という年齢になっていました。
私が好きな『レディ・ジョーカー』のころは30代半ばだったはず。いつの間にこんなに年を取ったの?と小さくショックを受けましたが、合田雄一郎はきっちり現実の時間の流れに生きている刑事なのです。『レディ・ジョーカー』の後に出た『太陽を曳く馬』を読んでいないせいで、私は40代の彼の活躍を知らないのでした。

2017年で57歳ということは、今年は還暦でしょうか?
もし、国家公務員の定年延長法案法が可決されたとしても、彼には定年延長はないようですね。

さて、本書『我らが少女A』のストーリーはというとーーー
2005年クリスマスの早朝、元中学校美術教師が殺害された。
事件は未解決のまま12年が経った2017年の早春、風俗店アルバイト女性が、同棲している男から殺された。
その女性こそ、12年前の未解決事件の周辺にいた、当時中学生の上田朱美だった。
そして彼女が12年前の事件に関与していたのではないかという疑いが浮上し、
未解決事件が再捜査されることになる。
上田朱美と接点のあった者たちの記憶を通して、2005年当時の東京が再現されていく。
ポップなヒット曲をBGMに、電飾に彩られたゲーセン、援助交際、ストーカーなど、思春期の少年少女たちの危うい日常と、街の風景が描きだされる。
27,8歳となった登場人物たちの現在と、15,6歳の彼らの姿が交錯する。
亡くなった上田朱美だけが何一つ語ることなく、「#少女A」として、ネット上で拡散していく。

我らが少女Aは、
「ひとつの事件が起こす、周囲の関係者へのさざ波、様々な反応の連鎖を書きたかった」(参照:https://pdmagazine.jp/today-book/book-review-575/
と、作者自身が「P+D MAGAZINE」のインタビューで語っているように、事件によってあぶりだされる被害者家族やその周辺の者たちの心情、家庭の問題が丁寧に書かれていて、そこに読み応えがあります。

ここからは余談ですが、本書の中盤あたりに現代美術家:会田誠のフアンだという男(電通マン)が登場します。
私は「会田誠」の作品のあれやこれやを思い出し、しばらくの間、本書のストーリーから外れて「現代アート」について考えていました。

性差別的な美術作品について思うこと

「会田誠」の名をネット検索に掛けると、四肢を切断された美少女が鎖を付けられて微笑む「犬」シリーズ、大量の裸の少女たちをミキサーに詰め込んでジュースにする「ジューサーミキサー」、少女が食べ物として描かれる「食用人造少女・美味ちゃん」シリーズ、少女が盆栽となって剪定される立体作品、キングギドラに美少女がレイプされる「巨大フジ隊員vsキングギドラ」、人間サイズのゴキブリとAV女優との性行為写真作品、などのエログロ画像が現れます。
こういう作品が現代アートとしてネットに流布し、公共の美術館でも展示されたりしています。

どんなに過激な作品であろうと実在しない少女を描いて個人的な妄想を表現したものであり、特定の誰かを中傷しているわけではないから、日本では「表現の自由」の範疇にある作品だと思う。
「表現の自由」は侵害されてはならない。規制されてもいけない。それは一国民として私も強く思っています。

でも、先に挙げたような作品は、女性の尊厳を踏みにじる、加虐的で侮蔑的な性暴力描写に見えて、私は不快に感じます。
それらは高い画力があり、一見、美しい日本画のような表層をしている作品もあって、芸術だと言われる。でも描かれている内容は児童虐待ポルノであり、サディスティックな性差別表現であり、日本に古くからある女性蔑視の文化を継承している時代錯誤な価値観の作品だと思います。

少女が凌辱されている性犯罪場面の描写を、女性蔑視的な、時代錯誤な価値観の作品を・・・常識にとらわれない独自の視点だ、タブーへの挑戦だ、現代アートだ、天才だ、と称賛する人たちの感覚が、私はどうにも理解できなくてモヤモヤします。

疑問に思うところを列挙してみると、

  • 女性の尊厳を踏みにじる作品を敢えて世に出すことが、タブーへの挑戦だということなのだろうか?
    女性の尊厳を踏みにじることは、人間の尊厳を踏みにじることと同じだとは考えないのだろうか?
  • 「犬」などの作品に対して、侮蔑的な性暴力と感じることの方が、過剰反応なのだろうか?
  • 会田誠の作品は全てがエログロだけではないのだから、他の社会批判性のある(ように見える)作品などと合わせて、”総合的俯瞰的観点から”会田誠の作品であればエログロ作品もひとまとめに肯定されているのだろうか?
  • 「食用人造少女・美味ちゃん」シリーズなど一連の作品は、男性の変態的妄想で描いた児童虐待ポルノ画に見えるのだけど、実は何かしらのテーマがあって、それを表現するために児童虐待的な描写が必要だったのか?
    その隠れたテーマを私が読み取れなかっただけなのだろうか?
  • 作品から女性蔑視などの差別表現を無くしたら、「表現の自由」は委縮してしまうものなのだろうか?
  • 政治的批判を含んだアート作品は「表現の自由」を侵害されやすいのに、政治性を含まない女性蔑視表現はなぜこうも肯定され野放しになるのだろうか?
  • 「現代アート」という分野は、女性蔑視以外の差別表現も容認しているのか?

まだまだ疑問がありますが、モヤモヤが膨らむばかりなので、今夜はこの辺でやめておきます。
「現代アート」は、作家側と、観るだけの一般人である側の私とでは、人権意識に相入れないところがあるのだなと思うしかない?