facebookのタイムラインに広告が表示される!解決

突然、Facebookのタイムライン上に広告が出るようになりました。
通常、スポンサー広告はFacebookページ右サイドに表示されるものですが、タイムラインの中で、カバー写真の下側とか、投稿記事と同じ並びにどっかりと、サプリメントの広告や、何かのソフトのダウンロードボタンとかが現れました。
またまたFacebookの仕様が勝手に変わっちゃったのか?それにしてもタイムラインの中に表示するのはやり過ぎだよね、と思いつつよくよく見てみると、広告の下には「ads not by facebook」の文字が・・・・
Facebookが配信した広告ではないって、いったいどういうこと?

検索してみると、これはFacebookの仕様とは全く関係なく、私のPC側に問題があると分かりました。
つい最近、フリーソフトをダウンロードした際、勝手についてくるツールバーや悪影響のあるソフトを迂闊にも一緒にインストールしてしまったのが原因。
それらを削除したら、広告も出なくなりましたので、以下にメモしておきます。

①「Babylon Toolbar(バビロンツールバー)」を削除する。
英語サイトを読みたくて「Babylon 」という翻訳ソフトのお試し版をインストールしました。その際、「Babylon Toolbar」をインストールしますか?と聞かれたような気がするけど、スルーして次へ次へとインストールしてしまいました。結果、不要なインターネットツールバーが表示されるようになってしまいました。

「Babylon Toolbar」を削除するには、PCの「プログラムの追加と削除」でBabylon本体と、myBabylon_English(他の名前だったかも)という二つのソフトをアンインストールすればよいのですが、それだけでは完全に削除することはできないようです。ツールバーは残ってしまいます。
ツールバーを完全に削除するには、
Internet Explorerの場合→[ツール]→[アドオンの管理]→[検索プロバイダー] と開いて、「アドオンの表示と管理 」画面で「Babylon Toolbar」を選択して削除します。
下図のようにツールーバーの検索ボックス脇から「アドオンの表示と管理 」画面を開くこともできます。

adon

②「i want this」を削除する。
「Babylon Toolbar」以外に悪影響のあるソフトを入れていなければ、「Babylon Toolbar」を削除することでFacebook上の不要な広告も消えてくれるようです。 
私の場合は「Babylon Toolbar」を削除したところで、広告が消えてなくなり一安心したのもつかの間、翌日にはまた広告が現れてビックリです。
他にも何かイケナイソフトが入っているようだと、「プログラムの追加と削除」を再度チェックしてみると「i want this」という、覚えのないソフトが入っていたので、これを削除しました。
そこでようやく、広告は表示されなくなりました。

「i want this」はネット上に広告を表示したりするアドウェアだそうです。
自分の意思でインストールしたものではないけど、「ああ、あの無料素材をダウンロードした時、一緒にくっついてきたのかなあ」と覚えがないわけではない。
「Babylon Toolbar」や「i want this」以外にも影響するソフトが多々あると思います。
これからは、ソフトをインストールする際、ちゃんと画面を見て「次へ」ボタンをクリックします(当然のことですが・・)。信頼のおけないサイトからむやみにフリーソフトをダウンロードするのはやめます。そういったところから手に入れたソフトや素材って、結局は使わない、使えない、ものだったりしますね。

「結婚の条件」小倉千加子

「結婚の条件」小倉千加子/朝日新聞社
発行/2003年11月

以前、斎藤美奈子さんの「モダンガール論」を読んで、女性史というジャンルに興味を持ったのですが、その斎藤美奈子さんが「本の本」で以下のような書評を載せていたのが、小倉千加子著「結婚の条件」。

kekkon女性の憧れをかきたてるカリスマミセスにもはやりすたりがあるらしく、ハイソ系の君島十和子の次に来ているのはナチュラル系の雅姫である。(・・中略・・)ままごとみたいな家庭生活の一端を見せるのが、いわば彼女の仕事であり、ロンドンやパリへの取材も娘同伴。それで麻と木綿と毛糸が好き、とかいってんだからいいわよねと凡人はひがむ。
にしても、なぜこんなカリスマミセスが次々登場してくるのか、そんな疑問にズバリと答えてくれるのが小倉千加子『結婚の条件』だ。(・・中略・・)男は収入、女は容貌。結婚とはカネとカオの交換だと小倉はいいきる。
「本の本/斎藤美奈子」より抜粋

カリスマ主婦ねえ。なんでそんなのが受けるのか、私も不思議に思っていました。
この本は、女性の結婚観の変遷を検証し、現在の晩婚化、少子化の原因を読み解く、真面目でちょっとミーハーな学問書です。
本にはたくさんの女性が登場しますが、その一人、ある未婚女性ディレクターはきっぱり言います。
「女は真面目に働きたいなんて思っていませんよ。しんどい仕事は男にさせて、自分は上澄みを吸って生きていこうとするんですよ。結婚と仕事と、要するにいいとこどりですよ」
平成の未婚女性も、昭和に結婚して現在中高年となった既婚女性も、「分かる、分かる」と頷ける現実が、ある意味身も蓋も無い本音が、満載の本です。

先日、小学2年生の双子女児と、映画「ジョン・カーター」を観ました。
この映画は100年前に書かれた、南北戦争の元南軍騎兵大尉ジョン・カーターが、火星のプリンセスを救うため、異星人たちと戦う勇者の物語です。
映画を観終わったあと、双子姉がポソっとつぶやきました。「男って女のために頑張るんだね」
恐るべし、7歳児。見るところは見ている。

この子が結婚する時代には、どんなことが「結婚の条件」になっているのか、気になります。
小倉千加子さんは、日本は晩婚化国、少子高齢国というより、将来は非婚国に移行していくと予想していますが、果たして?

まあ、どんな時代であろうと、勇者は 「上澄みを吸って生きていこうとする女」を、わざわざ命をかけて救いには来ない。それに、火星のプリンセスだって「絶世の美女で、勇気と情熱のある戦士」という設定だし。

原発再稼働本当にするの?

定期検査で停止中の関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)は、関西電力の安全計画について、「おおむね適合している」と認定され、政府は再稼働に向けてGOサインを出したようです。

野田佳彦首相と枝野幸男経済産業相らは13日の協議で、関西電力大飯原発(福井県おおい町)3、4号機の再稼働が必要との判断で一致し、福井県に協力を要請することを決めた。枝野経産相が14日午後、福井県に入り西川一誠知事やおおい町の時岡忍町長らと会談する。地元の同意が得られれば、首相らが改めて協議し再稼働を最終決定する。 
2012.4.13産経ニュース 「大飯原発再稼働を容認、地元に協力を要請へ」

 福島の原発事故から一年も経てば、喪が明けたとばかりに原発再稼働の話が出てくることは予想していましたが、福島の事故の後始末もできていない状態で、いまだ多くの避難生活者がいる現状で、原子力発電所の安全性の確認ができたなんて、戯言に過ぎない。
原発事故直後からこの一年間、東電や政府の対応を見ていれば、東電も政府も住民を守ることは二の次で、「理念なき政治」の茶番劇を見せつけるだけです。
はっきりしていることは、今の日本には原発を使いこなす技術が無いということです。しかももっと悪いことに、原発を稼働するほどに増殖する、高レベル放射線廃棄物を処理する技術も持っていない。

なのに大飯原発の再稼働を容認するなんて、またも、「事故は起こるはずがない」という想定で安全神話を押し通す気ですかね。
その安全神話と矛盾する話ですが、原発は電源三法で「人口が密集する大都会周辺に、危険な原発は作れない」という理由から、過疎地につくることが義務づけられているそうです。

過疎地だからこそ、原発のある自治体の住民から、再稼働を望む声があります。
原発事業が撤退すれば、地方自治体への巨額の電源三法交付金、助成金、住民の働く場所など、今まで原発から受けてきた恩恵を無くしてしまう。
原発関連企業のおかげでやっと生活している住民にとって、働く場所を無くすことは死活問題だってことも分かります。
しかし、非情な言い方をすれば、原発の受け入れを選択する際には、原発事故や電力会社の撤退や倒産といったリスクを想定していて当然だと思う。

民間の零細・中小企業なんて、いつだって倒産のリスクを抱えている。
民間の零細・中小企業に政府が税金を投入して守ってくれるようなことはありえないし、倒産した会社の失業者には、失業手当が早目に出る、給付期間が延長される、といった程度の行政支援しかない。
ガン患者は、手術はもちろん治療の一つ一つに、死や後遺症、副作用のリスクに同意する選択を積み重ねて、毎日を送っている。
 個人レベルでは、どんな選択にも自己責任がついて回る。

こういうと、電力事業と零細・中小企業や個人とでは、倒産したときに影響を受ける規模が違う、と言われるでしょう。
原発を無くすことは、一会社の従業員が失業するだけじゃない。無数の関連会社や電力供給を受けられなくなる、都会への影響も計り知れない、と言うかも知れない。

私が原発に反対する理由もそれです。倒産よりも事故を起こした時の影響の方が甚大で、日本だけでなく世界規模で損害と取り返しのつかない犠牲を強いることになるから。
個人レベルはおろか国レベルでも負いきれないリスクがあり、事故は決して起きないなんて安全神話を信じるフリなどしてはいけない。

是非下記のサイトも見てほしい。

ご当地キャラ「薩摩剣士隼人」!

昨日初めてその存在を知ったのですが、鹿児島のご当地キャラクター「薩摩剣士隼人」が面白いらしい。
日曜日朝6時15分からテレビ放映しているとのこと。
日曜日朝6時15分はキツイので、YouTubeを見てみました。

YouTubeはこちら→「薩摩剣士隼人 第1話 だいやめをすっど!」

子ども向けの番組にしては、バリバリの鹿児島弁!時間帯を考えると、トイナモン(鹿児島弁で“お年寄り”のこと)を対象にしているのか?
とばかりも言えず、最近は方言を見直そう、語り継ごう、という動きが全国的にあって、小学校では「方言教育」もひろがっているそうです。

ふりかえってみると、私が小学生だった1960年代は「標準語教育」一色でした。学校も親も方言矯正に躍起になっていたものでした。
何しろ、ほとんどの子どもたちが就職や大学で都会を目指すのが当然、というか「地元には企業も夢もない。出て行ってこそ立身出世よ」という風潮だったから、いずれ都会に出て行く子どもたちが言葉で恥をかかないようにという親心で、「標準語教育」は始められたのだと思います。
しかし、そこには「方言は恥ずかしい」という発想があったわけですから、私なんて大人になっても抜けない言葉の訛りがコンプレックスになったことも否めません。

あの頃は中央集権時代。今は地方分権が声高らかに叫ばれている時代。
時代が変われば教育も変わるわけです。

それはさておき、ご当地キャラってたくさんあるんですねえ。
ヒーロー系だけでも一部挙げると、

かごしまPRサポーター「さくらじまん」。
鹿児島県警「チェストくん」。
ローカル戦隊ヒーローの草分け「離島戦隊タネガシマン」(これは、SMAPと共演しているのを見ました)。
奄美大島からは「ハブレンジャー 」(「琉球戦隊!ハブレンジャー」とキャラがかぶっています)。
地球温暖化防止には「時空機動隊ハヤト」(見たことないなあ)
鹿児島県税務課からは「自動車税をおさめ隊」(プリキュア路線のキャラみたいです。)

などなど19キャラありました。(ウィキペディア「九州地方のローカルヒーロー一覧」参照

そのほか、ゆるキャラ系では「裁判員制度」普及に務める「かちけん君」、WeLove天文館の「てんてん」、枕崎市からは「ブエンマン」、鹿児島県茶生産協会の「茶々丸くん」…..まだまだ他にもあるようですが、greboo私の一押しはなんといっても「グリブー」 !
羽飾り風に葉っぱをあしらった顔に、 きりりとした眉(イモト似!)が印象的。

全国的には1600キャラ以上あるようです。(「ご当地キャラカタログ」参照)。
いやあ、すごい数ですね。「ご当地キャラ、スタンプラリーの旅」とかあったら、全国津々浦々旅ができそうですね。

自由葬でお願いします

昨年末に引き続き、冠婚葬祭についてこだわっています。
「冠婚葬祭」の”冠”と”婚”に関しては、成人式には出席しなかったし結婚式も挙げなかったし、今までもこれからも私個人には関係のないセレモニーです。
今後私に関係してくるのは人生最後のセレモニー、私自身の葬式です。自分の葬式にはこだわってみたい。

「葬式なんてそうこだわるものでもないでしょう。世間並みにしてくれればいい」と考える人には、全くどうだっていい話ですが、私にとっては最後の自己表現、ささやかな抵抗。どうか世間並みにはしないでくれ、と言いたいのです。
黙って死んでいくと、間違いなく世間並みの葬式になっちゃいます。

「世間並みの葬式」とはどういうものか?
現在の日本の場合、90%以上は仏式で執り行われるようです。
今まで私が列席した葬式も、ほとんどは仏式。たまーに神道あり、でした。
「信教の自由」が憲法で謳われているにも関わらず、この国にはこんなにも仏教徒が多いのか!と驚きます。
しかし実態は、

「現代の日本人の大多数は、実際にはいわゆる宗教儀礼に参加してはいるものの、特定の宗教組織に対する帰属意識は薄く、自分のことを「無宗教」と考える日本人も多い。これは日本人が神や仏を否定しているわけではなく、何かしらそれなりに信じているが、特定の宗教組織に全人格的に帰属してはいないということである。出典《ウィキペディア/日本の宗教》」

とあるように、たいていの人は「無宗教者」であることを自覚しながらも、「世間的なしきたり」として宗教儀礼を受け入れているのが実情でしょう。

それにしても、何故葬式は仏教なのか?
「冠婚葬祭のひみつ/斎藤美奈子」によると、元来仏教は葬送儀礼を重視する宗教ではなく、葬式は村社会が執り行うことが一般的でしたが、寛永十二年(1635年)頃から、お寺が葬式に関与する傾向が強くなったという。

「すべてのはじまりは、1635(寛永12年)ごろ、江戸幕府がキリシタンの弾圧のためにもうけた寺請制度である。日本人全員を近くの寺に帰属させ、寺には寺請証文(キリシタンでないことを証明する身分証書)を発行し、宗門人別帳(各人の宗旨と檀那寺を記した一戸ごとの住民基礎台帳)に捺印する権限を与える。」

寺請制度以降、僧侶が寺に定住するようになり、自分とこの檀家の葬儀や法事を営むことで定期的な収入を得られるようになり、布教の必要もなくなり、そして

「寺請制度が確立した1700年頃には、位牌、仏壇、戒名といった制度が導入され、葬式には必ず僧侶が関与しなくちゃダメとか、戒名をつけろとか、何年かごとに年忌法要をやれといったルールが設けられた。」

つまり、このころから葬式はビジネスとして育てられてきたのでしょう。

「世間並みの葬式」には、自動的に戒名がついてきます。
戒名は本来、「仏門に入った証であり、戒律を守るしるしとして……多くの場合、出家修道者に対して授戒の師僧によって与えられる/ウィキペディア:戒名」というもの。
しかし葬式さえすれば、故人に生前信仰があろうがなかろうが、戒名が与えられます。これがまた料金によってランク付けがあるという困ったしろもの。
グレードの高い戒名にすると、あの世で何かいいことがあるとでもいうのかしら?
死後の世界も現世同様格差があるってわけだろうか?
人間死んだら皆平等ってわけにはいかないの?
遺族にしてみれば、グレードの低い戒名、つまり安い仏門入門証を購入することは、故人をないがしろにしているような気になったりするし、「戒名は結構です」とも言いにくい雰囲気が、「世間並みの葬式」にはあります。

故人と生活を共にしていた家族であれば、故人が生前「葬式はこういうのがいい」と言っていたことなどを考慮して、精一杯故人の趣向に沿った葬式になるようにしたいと思う。
しかし、葬式に関しては結婚式ほどには好き勝手できない。ことに宗教色の無い葬式(自由葬と呼んだりするらしい)は、まだまだ市民権を得てはいないようです。
「私の葬式には、お線香も玉串も十字架も要らないから。」
と娘に頼んだところ、「それらを全て文書で残して欲しい。できたらFacebookで。」と言われました。
「母の遺言により、このような葬儀スタイルになりました。」と説明しなければ、「こんな葬式をするなんて、なんて親不孝な!」と世間に非難されるのは、残された子供たちだと言うのです。

そんなわけで、自分の葬式にこだわるなら、遺言状を準備した方が良さそうです。いえ、遺言状というとちょっと物々しい。まあ「私の葬式についてのお願い」という程度のことを、今年はFacebookに残しておこうと考えています。