モダンガール論/文春文庫
発行/2003年12月
米原万里著「打ちのめされるようなすごい本」で紹介されて知った本なのですが、米原万里さんも指摘している通り、タイトルで損をしているかもしれません。
読む前は、「大正時代のコギャル論」といったものを想像して、お手軽なサブカルチャー本かなと。
しかし、読んでみると、明治から大正、昭和、20世紀100年間の女性の歴史。驚きも感動も笑いもある痛快な一冊でした。これ以後、私は斎藤美奈子さんに嵌ってしまいました。
「女の子には出世の道が二つある。立派な職業婦人になることと、立派な家庭人になること」「颯爽としたキャリアウーマンと優雅なマダムのどっちが魅力的な人生か。結婚するのと仕事をつづけるのとどっちが得か。両方とも手に入れる良策はないか。片一方を断念したら損をしないか」という女の子の出世願望を、100年の歴史の中で見ていく。コンセプトは「欲望史観で女の子の近代を読む」です。
そしてモダンガールの定義は「欲するままに万事を振舞う女」「我慢しない女」
著者が膨大な資料を読み解き引用しているので、その時代時代の女性たちの生の声が聞こえてくる本となっています。その声は現代の私たちの悩みとも共鳴します。
たとえば「育児と職業の両立、職場の待遇差別から主婦の自立論」などなど、現代の私たちが直面しているような問題は大正時代からすでにあった。
しかし、そんな問題を声に出して訴えることができたのは、ほんの一握りの恵まれた女性だけ。「ブルジョア婦人のぜいたくな悩み」でしかなかったという。
ほとんどの平民女性は自分の人生など、どうにもままならない貧困の中にいました。
当時は「『性差別』よりも、『階級的な矛盾』のほうが、はるかに深刻だった時代」だったといいます。
現在を見渡してみると、「高度経済成長期」(1960年所得倍増計画から1973年第一次石油ショックまで)を経て、1980年代「国民の90パーセントが中流意識をもっている」と言われるまでになった日本ですが、バブルがはじけ、いまや経済格差社会。
21世紀はまた階級社会に逆戻りってことでしょうか?
後書きで著者は「21世紀の課題は、『出世を目指すか、出世から降りるか』である」と書いています。
社会経済の変化に、人の意識・思想は左右されてしまうものですが、まだ選択の余地があるだけ、私たちの祖先の時代よりマシかもしれませんね。
ところで、蛇足ながら、「結婚の条件/小倉千加子著」の中に「主人がなくなってからも、残された家族が30年間まったく働かずに食べられる家をブルジョアという」とあります。
ひえ~、です。